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2010年02月13日

●『硫黄島からの手紙』再見

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一昨日の夜、NHK−BSでやっていたクリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』を観た。最初は映画館で観て、いつだったかDVDを借りて観て、これで3回目の鑑賞になるだろうか。公開時のエントリーでも書いたけど、これは傑作である。何度観ても良い映画だと思う。
 
 
初見の4年間に比べると冷静に観ているせいか、日本兵の言葉遣いや憲兵の描き方など、正直不自然さは以前より目に付いた。多くの時間帯を占める戦闘シーンにしても、過不足ない感じではあるけれどそれほど迫力があるわけでもない(まあ『プライベート・ライアン』とか『ランボー』とかと比べちゃいかんのかもしれんけど(笑))。

でも、それらを踏まえても、僕たちの心の琴線に触れる部分の多いこと多いこと。しみ入る音楽と心温まる回顧シーン、日本兵たちを覆う閉塞感(何のために戦う?)と追い詰められ感、馬や敵軍捕虜を巡るバロン西の人間くさいエピソード、軍国主義的発想の狂気、そして実直な愛国心と合理主義というアンビバレントな要素を抱えた栗林中将(渡辺謙)の実直さ。

特に心に残るのは、物語の終盤、日本軍にとって絶望的な状況でのやりとりだろうか。主人公の西郷(二宮和也)が栗林と会話をしている中で本土に妊娠中の奥さんを残していることに思い当たって涙ぐむ場面。「そうか」と一言言って、栗林がそれ以上何も言わない(言えない)のがいいんだよね。ただ、その場を立ち去る時、「ポン」と西郷の肩を叩いていく。そのさりげなさが何とも……。

そして次の場面、無線の前に立った栗林は本土から送られてくる子供たちのはげましの歌声を聞いて涙ぐむのだ。もう絶対に勝てない戦いだし、絶対に命は助からない状況なんだけど、それでも(というかだからこそ)故郷に思いをはせて涙ぐむ心性。僕らにとっては想像の域を出ないかもしれないけど「わかる、わかるよ」という感じである。

この映画のイーストウッド監督は、ホント、日本人に対して敬意を持って描いてくれているように感じるのだ。今の奥さんが日系という事情も影響しているのだろうか。
 
 
あと、公開当時マスコミでは「ハリウッド進出」とか騒がれてたけど、映画を観た人の中では賛否両論だったような覚えがある二宮君の演技について。僕はこれで良い、と思う。確かに今風過ぎるきらいはあるのだが、本人も「今の日本人が当時の状況に置かれたら……」という心持ちで演じていたようだし、逆に主人公が思いっきり「昔の日本人」風だったら(リアルかもしれないけど)あまり共感できなかったかも、と。

それは、姉妹作として撮られた『父親たちの星条旗』とこの『硫黄島からの手紙』の評価にも通じるものがあるのかもしれない。映画として普通に良くできているのは、おそらく(本来それ1本だけのはずだった)『父親たちの〜』だろう。でも、やはり日本人としての視点で見ると、のめり込むのはどうしても後者の方なんである。
 
 
いずれにせよ、こうして改めてイーストウッド監督の力量を再確認するにつけ、『インビクタス/負けざる者たち』は早く観なきゃ、という気もするのだが……映画館はまだ混んでるのかな?最近は毎週末ラグビー観戦に励みすぎて、ちょっとラグビー映画を観に行く時間がないような(笑)。
 

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