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2006年12月21日

●『硫黄島からの手紙』


先日、クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』を観てきた。「硫黄島2部作」の第2作で、アメリカの「作られた英雄」をクローズアップした前作『父親たちの星条旗』に対し、今度は日本側からの視点で作られた作品。「硫黄島の戦い」という歴史に残るべき悲劇と、その中で死んでいった日本軍人たちの人間性や狂気を余すところなく描ききった傑作である。


正直、観る前は「アメリカ人の手による日本人像」にやや懐疑的な部分もあった。だが、実際観た後には「本当に外国人が作ったのか……」と唸りたくなるほどよくできた映画だった。確かに一部の台詞回しなどにおかしい部分がないではない。でも、それはおそらく「今の日本人の手による」ものよりははるかにマシなものであろうし、特撮や演出から小道具に至るまでに漲る迫真感は、違和感をはるかに凌駕していると思う。

また、戦場のリアル感云々は抜きにしても、1本の作品としてとてもよくできた映画だと思えた。「硫黄島の戦い」自体はわずか1ヶ月ほどの出来事だが、その中で描かれる人物は実に様々で、濃密な人間ドラマが展開される。繰り返し挿入される回想や叙情的な演出も効果的。2時間半の間全く飽きなかったのは、戦闘シーンの緊迫感だけではなく、監督や脚本の力量によるところが大きいのだろう。さすが「プロの仕事」だ。

登場人物では、なんといっても栗林中将(渡辺謙)の誠実さと迫力が魅力的。渡辺謙はもはや「日本の」なんて冠を付けることがはばかられるような堂々たるスターぶりだ。中村獅童も、日本軍らしい狂気と理不尽さを怪演。主人公(西郷)役の二宮君は役割をわきまえて巧く演じたと思う。他にも元憲兵の清水(加瀬亮)とか栗林の副官とか、脇役も良かったけど、個人的に最も感情移入できたのはやはりバロン西(伊原剛志)かな。「ヘイ、サム!」には泣けた……。


もっとも、映画の出来に関わらず、いや、出来が良いからこそ、全体を覆う哀しさ、むごたらしさが際だつ。硫黄島の戦闘は日本軍にとって「出口なき戦い」であった。親米合理主義者の栗林が玉砕を戒めたのも、あくまで「最後の1兵まで戦う」つもりだったから。その栗林も最後は万歳突撃で散り、バロン西も、彼と心の交流をした捕虜も、彼らの姿を見て人間性を取り戻した元憲兵も、その他諸々の兵士たちも、結局は皆非業の死を遂げてしまう。やりきれないことだ。

硫黄島は、米軍にしてみればB29の大切な中継地であり、日本軍にしてみれば本土防衛のための時間稼ぎであった沖縄防衛の、さらに時間稼ぎをするための前線であった。2万を超える日本兵たちは、あらかじめ死ぬことを義務づけられた存在だったのである。多くの民間人を巻き込んだサイパンや沖縄ともまた違い、ほぼ両軍の兵士のみで延々と命の消耗戦が続けられた島。この特異な戦場に着目した時点で、この映画の成功は約束されていたのかもしれない。


特に印象に残ったシーン2つ。1つは、守備兵たちが退却命令を無視して自決していく場面。まだ武器も残っているのに「潔さ」を叫んで次々死ぬのだが、最も快活なキャラだった西郷の戦友までもが家族の写真を握りしめ震えながら自爆する姿には愕然とさせられた。何と馬鹿馬鹿しくも恐ろしい同調圧力だろうか。もう1つは、憲兵が「非国民摘発」の最中に犬を射殺する場面。何の罪もない飼い犬を、その家族の目の前で、大した理由もなく撃ち殺す。その理不尽さ、冷酷さにまた愕然。

これらの場面を通じてイーストウッド監督が描こうとしたのは、おそらく、人々の様々な思いを無残にひき潰していく戦争(派生物としての軍国主義体制を含む)そのものの非人間性なのだろう。愛する家族への思い、友を思う気持ち、人々への責任感、敵に対する共感と敬意、そして「生きたい」という切なる願い。それら全てを踏みにじるのが、戦争という怪物なのである。それは、政策や主義主張の当否を超えて普遍的に憎むべき存在なのだ、というのがこの映画のメッセージではないだろうか。

とにかく、ズシリと重い余韻が残る映画だ。「感動した」という軽い言葉では言い表せないが、しかし心の奥底を揺さぶられるような感覚に襲われたのである。


映画が終わった後、場内は静けさに包まれ、周りの座席からはすすり泣きも聞こえてきた。「こういう映画をもっと若い人に見せるべきだ」などと説教くさいことを述べるつもりは毛頭ないが、貴重な休日の午後を費やした価値は十分にあったと僕は思ったし、おそらく座席の大半を埋めていた若い人たちも同じ気持ちだろう。いわゆるエンターテイメントは、何も「軽い」ものばかりではない。そして、「重い」それは、文字通り人の心の中にどっしりと根を下ろして残るのだ。

映画館を出てしばらくたってから、「なぜこういう映画が今の日本では作られないのか」ということについて思わず考え込んでしまった。本当に、いったいなぜなんだろうか。


硫黄島の戦いについての、生々しい体験記は→ コチラ

硫黄島の戦跡の様子は→ コチラ


以下、余談気味。上に書いたような諸々の悲劇とともに、この映画でしつこく描かれているのは日本軍の不合理な戦いぶりである。多くの将兵が旧軍メンタリティもろ出しで、栗林の持久作戦をろくに検討もしないまま「臆病」と決めつけ、圧倒的火力を持つ米軍に正面から突撃して大損害は被るは、退却してきた味方を罵って首をはねようとするわ、まだ戦う余地はいくらでもあるのに部下もろともとっとと自決しちゃうわ……ある意味噴飯ものである。改めて「こりゃ戦争にも負けるわ」と思ったのは僕だけではあるまい。

ちなみに、同様の「精神主義が合理主義を損なう」現象は、続く沖縄戦においてより大きなスケールで繰り返されることになる。現地の有能な参謀(八原大佐)が持久戦に持ち込んで米軍を焦らせるも、馬鹿な大本営がその戦法を「消極的」として攻撃命令を出し、あえなく沖縄守備軍は崩壊してしまう。「バンザイアタック」といえば聞こえはいいが(良くないか)、んなもん単に忍耐や思考力の欠如じゃん、と思ってしまう。まあ、そこは確かに日本人の美徳感覚と裏表なのかもしれないが(栗林も最後は突撃するし)。

表面的にはあくまで勇ましく、耳障りのいいスローガンをあちこちで吹き散らかすが、最後は無責任にもトンズラをこくか、味方を追い詰めて破滅させてしまう。よく考えたら、いまだに日本ではしばしば見られる行動形式のような気がするな。特にここ数年は目につくような……。あの戦争のことも、いつの間にか美化されることが増えているように思えるし。進歩がないっつーか、雰囲気的に日本は「いつか来た道」を進んでいるというか。
 

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コメント

評判どおりの出来なのかー
いや、ヨメが見たいって言うんだけどね、一人で行くのは嫌だと俺を誘うのよ。
いや、気にはなっていたんだけどね、でも、長い映画は苦手なんだよね、正直なところ。

戦争美化ねぇ。そんな風潮あるの?俺鈍いかな?
「軍靴」の音も聞こえないしw

俺は戦争したいとは思わんが、日本を守りたいとは思う。
教育に愛国心を盛り込むってのは、日本が戦争するためじゃなくて、日本がこれからも日本であり続けるためだと思うんだよね。
どっかのバカな新聞社がしきりに「右傾化」とかっていうけどさ。
ま、やつらは左過ぎるから、自分より右のヤツはみんな右なんだよ。たとえ真ん中であっても。
右過ぎるのも左過ぎるのも危険思想だと思うよ。

というわけで映画見に行くかどうか悩んでみる。

こんにちは。いつも読ませていただいてます。

僕もこの映画は見に行きました。うまねんさん(?)のように良い表現が見つからないのですが、感動しました。
なんというか、>守備兵たちが退却命令を無視して自決していく場面 理不尽な戦争中のこのような死は、決して美化されるべきものではないかも知れませんが、過去に「日本を守るため」にこういう形で死んでいった方たちに対して感謝する気持ちは決して忘れてはいけないと感じますね。
美化することと、感謝することをごちゃまぜにしてはいけないと改めて思いました。その意味でもこの映画は素晴らしかったです。

連投すみません。
ちょっと抜けてしまったので訂正を

「守備兵たちが退却命令を無視して自決していく場面」

のあとに

「には思わず涙がでてしまいました。」

が入ります。すみません。

見てみようかしら。(右でも左でもまん中でも)あまりお説教臭い戦争物は苦手で、いつも評判を聞いてから見てしまいます。グッドモーニングベトナムとかは好感が持てたんですが。
一族にいろんな国の人がいるので、戦争の話題になると、立場が微妙です。タブーではないのですが、みんな語る語る(笑)
「本当に外国人が作ったのか……」「プロの仕事」「ヘイ、サム!」というmurataさんの感想に賭けてみます。「ヘイ、サム!」は違うか(笑)

イーストウッドさん、天才。

えーっとですな、念のために言っときますけど、この映画は右だの左だのなんてイデオロギー的な部分にはほとんど言及しておりません(まああえて言えば軍国主義の非人間性くらいか)。

むしろ、そうした立場に関わらず、硫黄島で戦った人々の様々な思いと生き様、そしてそれらをゴリゴリと挽き潰す戦争という無惨な現象(ないし状況)をきっちりと描ききったからこそ「傑作」だと僕は思ったのです。

で、僕もこの作品のそうした主題に深く共感し、感動した、というのがエントリーの「以下、余談気味」より前の部分ね。

その後は、僕が昔から嫌悪してやまない、当時の日本軍からさらには現代の日本人の多く(おそらく僕も含めて)が陥っている精神主義やら誇大スローガン主義やら情実優先主義やらへの攻撃が趣旨で、別にこれも右とか左とかいう話じゃないよ。

この映画は、そういう「政治的」なものとは別のところにあるものだ。それは強調しておきたい。

つーか、それこそ右とか左とか愛国とかなんちゃら、なんて話に踏み込んだら、僕とこばえもんは硫黄島並の激戦に陥るのは必定だからねえ(笑)。やめておこう。

>夢の島さん
ホント、自決シーンは印象深かったです。実は私もあの場面の悲惨さにちょっと涙ぐみそうになったのですが、一方で「何でまだ戦えるのに勝手に死ぬんだ!」「なぜ生きたい人間まで巻き込むんだ!」と腹が立って仕方がなかったです。

このシーンに限らず、パリッと割り切れる要素はあまりない映画でしたよね。合理主義者のはずの栗林も最後は突撃で散って行くし、とにかく生きて帰りたいはずの二宮君は最後ああいう形で感情を爆発させるし、バロン西と捕虜の温かい交流があったかと思えば、それを見て○○した○○はあんなことになっちゃうし。

そこら辺の、相反する要素を色々と盛り込むことによって、観客に複雑な、しかし重く心に残る感情を抱かせることに成功しているからこそこの映画は好評を得ているのではないでしょうか。

>美化することと、感謝することをごちゃまぜにしてはいけないと改めて思いました。
全くです。私も当時の戦争の歴史をひもとくたびに、「こんな立派な人もいたのか」(もちろんとんでもないヤツも多いのだが)と感嘆し戦争で亡くなった方々に対して厳粛な気持ちになると同時に、「そんな人がなぜこのような非業の死を遂げなければならないのか」「あのような死者を量産する行いは、どうあがいても正当化されまい」とも思います。

硫黄島や沖縄やその他諸々で戦死された人や、そして空襲などで亡くなった方々に頭を下げるのと、「あの戦争は間違っていた」という結論を出すのは矛盾しないと私は思っています。

そこら辺が次第に曖昧になっているので、「美化」なんぞという単語も使わせてもらいました。

>mipolinさん
まあ、あんまり説教くさくはないと思います……多分(笑)。

絶賛しておいて後で「騙された!」とか思われても困るので(笑)、
○ 戦況など、全体の状況についてやや説明不足
○ 計算づくの構成の脚本は、人によっては鼻につくかも
○ 二宮君の演技は賛否両論
○ 憲兵のシーンとか、考証的におかしい部分もないではない
といったあたりは指摘しておきましょう。

でも、素直にいい映画だと、私は思いました。

>「ヘイ、サム!」
なにげにそこが、映画の感情的なクライマックスだったりします(笑)。

>イーストウッドさん、天才。
天才というより、「達人」という感じかなー。

ちょっとご無沙汰してます。

大変ナイーブな話題ではあると思いますが、
こう意見を公の場で書ける事が大事ですよね。

ちなみに自分は、二極化した思想で言うところの『タカ』に属するかも知れませんが、
戦争自体に肯定的な意見を持ってます。
それは主に『護国』や『愛国心』といった実に一次元的な部分での肯定になるかも知れませんが、
ま、ご先祖さんを悪く言う事が、そもそも『自己否定』のような気がして、とても気が引けてしまいます。

得てして『史実』というものは(特に60年以上も前になってしまった『先の大戦』は)、様々なパワーバランスにより、良くも悪くも塗り替えられてしまうものであり、
どちらかと言うと、真実はもう闇の中だと思うのです。
(江戸時代の素晴らしい部分がスポイルされたりするそれや、アウシュビッツの虐殺自体も存在したかどうかも分からないというそれは最たる例かと)
現代のプロトコールの中において考えれば、
江戸時代は文明が貧弱だったかも知れないし、
軍国,帝国主義を通した昭和初期は大変野蛮な時代だと思われるかも知れませんが、
それはあくまで今の価値観であり、当時は寧ろそれが世界のトレンドであり、半ば『常識』だったんでしょう。
それらを鑑みると、当時の行動は、当時としてはさほど間違ってはなかったと、私は考えます。

強いて過去を否定するなれば、日本海でロシアに勝った事が、全ての間違いの始まりだったのかなぁ、
と、現時点では結論してますが。

…何が言いたいのかわかんなくなってきましたが、
ま、『戦争の全否定』だけはあまり好きではナイ、ってな感じですかね…
日教組の幻想とイニシエーションの残骸みたいで…


閑話休題。

年明けたら、新年会しましょ♪

>意見を公の場で書ける事が大事ですよね。
まったくです。言い合えるからこそ、お互い分かり合うこともあるし、「わかり合わないことがわかる」こともあるわけです。その上で、互いを尊重するのが最も重要かと。

>どちらかと言うと、真実はもう闇の中
>それはあくまで今の価値観であり、当時は寧ろそれが世界のトレンド
ここら辺は、本当に難しいところですよね。僕の大まかな理解だと江戸時代はけっこう豊かな時代で、でもそれが黒船襲来で維持できなくなって、明治になって列強に追いつけ追い越せで頑張りすぎて、その頑張り過ぎた歪みが世界情勢と相まって太平洋戦争の「破滅」につながった、となるんですけど、それが「客観的に」正しいかどうかはよくわからないし、ましてや「あの時ああすればよかった」などと自信を持って言えることはあまりないですね。

ただ、まあ、わからないなりにでも、歴史の教訓を学ぼうとする、あるいは真実を「わかろうとする」姿勢こそが大事なんじゃないかと個人的には思ってます。結論は人それぞれになると思いますけども。

>日本海でロシアに勝った事が、全ての間違いの始まり
少なくとも、間違った方向に加速するきっかけにはなったでしょうね。だからといって、「負けた方がよかった」かというとこれがまた……。難しい(笑)。

>年明けたら、新年会しましょ♪
いいっすね。また赤羽とか?

「政治と戦争」「大義と人権」「守衛と殺戮」・・・・・。昔の事情は知りません、見てませんから。でも、たくさんの人が死んだ、これが結果で結論なんです。この歴史が日本人の遺伝子にあること、これは絶対です、絶対。

いい映画でしたよ、ホント。初日に観に行ってもう2週間くらい経ちますが、心に響いた衝撃が映像と共にまだ残ってます。これをネタにまた飲酒したいわぁ。

>戦争美化ねぇ。そんな風潮あるの?俺鈍いかな?
「軍靴」の音も聞こえないしw

 「軍靴」の音は、まだ聞こえなくても、「ファシズムの足音」は、聞こえる人には聞こえていると思いますよ。空耳であってくれと祈るばかりですが・・・。

>軍国,帝国主義を通した昭和初期は大変野蛮な時代だと思われるかも知れませんが、
それはあくまで今の価値観であり、当時は寧ろそれが世界のトレンドであり、半ば『常識』だったんでしょう。
それらを鑑みると、当時の行動は、当時としてはさほど間違ってはなかったと、私は考えます。


 「明治時代の日本」が、欧米列強の植民地にされないようにと必死だったのは事実でしょうが、自分たちも帝国主義に走って、もっと過激なことをしまくってしまった・・・。「もっと違う道を歩めなかったのだろうか」と思います。たとえ、「後だしじゃんけんだ」と批判されたとしても。
 当時の日本を正当化する意見は、まるで、中学生が「自分がいじめられないために必死でまわりをいじめまくった。気がついたら、自分が一番過激ないじめをやっていたけれど、俺はああするしかなかった。相手を自殺に追い込んだけれど、俺は悪くない。」と言っているように聞こえてしまいます。まあ、あくまでも、私の意見であって今の世間の風潮とはずれているのかも知れませんが・・・。嫌な世の中になっちゃったなぁ・・・(泣)。

>>硫黄島並の激戦に陥るのは必定だからねえ(笑)。

コメントでは偉っそうなことを書いてますが、ディベートはからっきしダメなので、むしろ東京大空襲になるでしょう。
もちろん、オイラが炎上するほう。


それはさておき、映画。
一度見に行くのに難色を示したのに、こっちからやっぱ行こうとヨメに言うのは敗北宣言みたいな感じがするので、もう一度お誘いがあったら
「しょうがないなぁ、そこまで言うのなら・・・」
というスタンスでしぶしぶ見に行くフリをしようかしら。(笑)

話は変わって、例のお方のお祝いとか、その他計画中のイベントとか年が明けたら進めないといけないかな。

それと、1月8日の秩父宮。
もし必要なら手配するよ。あと2枚くらいならまだ大丈夫だと思う。
ウチはヨメさんの両親とあわせて4人で行く予定。

ちなみに『父親からの星条旗』の方は観てます。ま、可も無く不可も無かった感じでしたが…

一つ史実と異なるのではないかと思われる事として、
当時の日本軍の将校,士官クラスが暴力的で短絡的思考による特攻精神だった、という話、
これはかなり眉唾物だと思ってます。
軍曹,伍長等の現場クラスがバシバシぶん殴ってた話はきっと本当だと思うのですが、
当時のエリート連中である将校,士官達が、そんな事はしないだろ、
と…思いたいのですが…

戦後のGHQと米国による『お宅の国の阿呆達がむごい戦争を起こしたから負けたんだよ』的なプロパガンダの一部ではないかなぁ…
だといいなぁ…


そんな感じで新年会の件ですが、
赤羽だったら自分はいつでも徒歩で出動できますよw
自分は普段行けない『都会w』に行きたいです。
組長達も誘ってみます!

>>、「ファシズムの足音」

北のほうとか西のほうの大陸から聞こえますね。
なんというか、反戦とか世界平和という人の中には日本のことは批判するが、現在進行形で周辺国を挑発しまくっている国の行為については目をつぶっている人が一部に見受けられるのが腑に落ちません。
そういう都合のいい二枚舌はちょっとね・・・

ただ、今の周辺国の風潮はいじめの例えを借りるならば、いじめをしたことで自殺に追い込んでしまった。結果、謝罪もしたし、慰謝料も支払った。
刑事的にも民事的にも罪を償ったのにもかかわらず、相手は慰謝料をもらってないだの足りないだの言い出す、挙句は犯罪者の家族や子孫に対してはどんなひどい仕打ちを仕返しても構わないとばかりに、庭を占拠したり、石を投げたりと逆にいじめている状況ではないかと。

なんか、コメント欄が長くなってなかなか下までたどり着かんぞ(笑)。

>でも、たくさんの人が死んだ、これが結果で結論なんです。
まったくその通り。この映画のメッセージは端的にそこなんだよね、多分。あーせーこーせーという説教ではなく、「かつてあったこと」に息を吹き返させた、ということ。

>これをネタにまた飲酒したいわぁ。
飲みますか、また「すっとこどっこい」で。

>E.coli
どうも。私の感覚は、多分あなたに近いものがあると思います。日本人は近頃、隣のファシズム国家の存在にかこつけたりもして、数十年前の出来事について、自省を忘れて他責的な態度に開き直っていることが多いように思います。

>コメントでは偉っそうなことを書いてますが、ディベートはからっきしダメなので、
大丈夫だ、俺もべしゃりの方は×だからー。「書くだけ番長」だよ。

>「しょうがないなぁ、そこまで言うのなら・・・」
>というスタンスでしぶしぶ見に行くフリをしようかしら。(笑)
それが家内円満の秘訣ですか(笑)。

1月8日は多分行くとは思うのだが、まだちょっとわからんなー。

>当時の日本軍の将校,士官クラスが暴力的で短絡的思考による特攻精神だった、という話
これは、当たり前の話ですが、人によるでしょう。栗林中将みたいなとてもスマートな人もいれば、インパール作戦の牟田口中将みたいにステレオタイプな「悪しき帝国陸軍将校」そのものの人もいますから。

あと、旧日本軍については、個々には優秀な人がけっこういたのは間違いないんだけど、そうした人材を生かせない組織の構造やら伝統やらがあったのも確かなんだよね。そんな中で逆に随分変な人も出世していた実情があったみたいだから、イロイロとあったのは本当なんじゃないかな、と思う。

>自分は普段行けない『都会w』に行きたいです。
じゃあ、赤坂の「すっとこどっこい」とかで飲みますか。…って、そればっかりやな(笑)。名物のビアサーバー席は、一卓6人までしか座れませんが。

>北のほうとか西のほうの大陸から聞こえますね。

 北の方は、足音どころか、「ファシズムの嵐」の真っ只中でしょう。
 西の方は、資本主義経済の導入によって貧富の格差があまりにも急速に拡大し、矛盾が膨らんでますね。経済的に虐げられた人々の不満はいつか爆発するかもしれません。資本主義を導入しておいて、マルクスレーニン主義では国を束ねられない(文化大革命で虐げられて党にうらみを抱いている人も多いでしょうしね)・・・そのために教育が少し偏ってきているのは事実でしょう(反日教育とか色々と)が、それなら、そのことに対してストレートに文句を言えばいい。「日本が経済援助をしてきたことも、おたくの国民にもっとアピールしてくれ」とか、そういうことは、もっと主張してもいいでしょうよ。上海でのこととか、明らかに相手に落ち度があることでケンカ(外交ってことね)すればいいものを、わざわざ、こちらに非のあることが明らかな「先の大戦」を正当化するそぶりを見せて、「相手に有利な外交カード」を与えてしまっている。「どうして日本はこんなに外交が下手なんだろう。アホなんじゃぁねぇか」と俺なんかは思ってしまいます。
 こちらの過去の過ちを正当化する態度をとったら、世界から笑われるのは、こちらの方ですよ。そして、かえってアジアでの日本の存在が軽いものになり、西の方の存在感が増すだけです。この数年で日本が失ったものは、はかり知れませんよ。そもそも、経済的なライバルが、自分の過ちを正当化してまわりから顰蹙をかい自滅したら、一番喜ぶのはライバルさんかもよ?愛する祖国が、世界の笑いものになって嬉しいですか?アジアに友人が少なくなり、外交交渉で、不利になって嬉しいですか?私は嬉しくありません。
 こばえもん氏は、どのようにお考えになりますか?
 

>日本人は近頃、隣のファシズム国家の存在にかこつけたりもして、数十年前の出来事について、自省を忘れて他責的な態度に開き直っていることが多いように思います。

 
 本当にその通りだと思います。そして、多くのものを失っていると思います。国内でも、国外においても。

えー、話がだんだんエントリーの内容から逸れてるのと、この手の話題は本当にきりがなくなったりするので、まあ色々あると思いますが、とりあえずこの辺でおしまい~ということで。

繰り返し言っておきますが、別に『硫黄島からの手紙』自体は特定の政治的立場とか今の時勢とか、そういったものからはかなり中立につくってあります。そして、当時の人々に対するリスペクトも感じられる映画です。

イーストウッド監督が主張したかったのは、あくまで「戦争」そのものの非人間性だと思うんだ。

>>過去の過ちを正当化する態度

私も正当化しろとは思ってないし、反省すべきでしょう。
ただ、必要以上に日本にたかる、あるいは過去のことを理由に今は逆に日本に対しては何をしてもいいというような風潮の国に対しては、「謝罪もしている反省もしている。そして賠償も済んでいる。」などということはちゃんと言うべきだと思います。
そして言うべきことを言わない日本の外交が下手だというのも同意。
最近は麻生さんになって少し変わったかな?政府レベルでは。官僚レベルではまだまだかな?

話がだいぶ逸れちまったのは申し訳ない。
人様のBLOGで話するようなことじゃなかったね。
人んちの玄関先で街宣活動やってるみたいなもんだ。お邪魔しました。


>>それが家内円満の秘訣ですか(笑)。

さぁねぇ。
円満に進めるならば最初の時点で「行く!」というべきでしょうなぁ。(笑)

>>1月8日は多分行くとは思うのだが、まだちょっとわからんなー。

早めに連絡もらえれば、手配できると思うよ。

ちゅうか、ウチラも新年会やるべぇ。打ち合わせを兼ねて。

>えー、話がだんだんエントリーの内容から逸れてるのと、この手の話題は本当にきりがなくなったりするので、まあ色々あると思いますが、とりあえずこの辺でおしまい~ということで。

>人様のBLOGで話すようなことじゃなかったね。

 本当にそうですね。本題からそれてしまって申し訳ありません。人様の家でケンカするのと同じですね。配慮が足りませんでした。このエントリーに書き込むのは、これで最後にします。すみませんでした。


>私も正当化しろとは思ってないし、反省すべきでしょう。
ただ、必要以上に日本にたかる、あるいは過去のことを理由に今は逆に日本に対しては何をしてもいいというような風潮の国に対しては、「謝罪もしている反省もしている。そして賠償も済んでいる。」などということはちゃんと言うべきだと思います。
そして言うべきことを言わない日本の外交が下手だというのも同意。


了解いたしまいた。

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