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2007年03月27日

●『ガス人間第1号』

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先日のエントリーでは『美女と液体人間』をとり上げたのだが、そうなるとこちらもとり上げない訳にはいくまい。本多猪四郎監督『ガス人間第1号』。東宝の「変身人間シリーズ三部作」最終作である。個人的には、別格番外の『ゴジラ』を除けば、この作品こそが東宝特撮映画史上の最高傑作だと思っている。

 
うだつの上がらない男・水野(土屋嘉男)は、人体実験の失敗によって偶然に体をガス化する能力を得た。彼は没落した踊りの家元・藤千代(八千草薫)を愛しており、彼女に大金を与えるために銀行強盗を働くようになる。水野はその正体がばれてからも、特殊能力を誇示して警察・世間を脅しながら、強引に目的を達しようとするのだが……というのが物語のあらすじ。

液体人間は一応「人間」とは付いているけれども、ほぼ完全に液体化していて、たまに人間の形に戻ることはあっても人を溶かすばかりで意識の存在などは感じられなかった。つまり「モンスター」だった。それに対してガス人間は、ガス化した時はどこへでも出入りできるし鉄砲も効かないけれど、普通の人間の姿に戻ることもできるし人間の意志や感情はそのまんま残った状態である。いわば「超能力者」という感じ。

だから、「モンスター対警察・科学者」の構図を簡潔に描いた『液体人間』とは異なり、こちらの作品は「人間同士」のメロドラマが軸になっている。ガス人間・水野の、普通なら手の届かない女に対する憧れと愛情と、僅かに軽蔑の交じった想い。水野からの「汚れた金」に罪の意識を感じながらも、かつての栄光を取り戻すために頼らざるを得ない藤千代。そして何より悲しいことに、藤千代は水野を愛しているわけではないのだ……うーむ。

劇中、姿を現したガス人間(水野)は唖然とする刑事たちの前で「(ガス化の能力で)何でも手に入る」と豪語するも、世の中「力」と「想い」だけではどうにもならない。結局、水野と藤千代は社会の中に居場所をなくしてしまい、ともに滅んでいく。炎の中からよろよろと現れたガス人間が崩れ落ちるラストは非常に悲しい。三橋達也と佐多契子の主人公カップルがやたら爽やかに描かれているだけに、コントラストは一層鮮やかであった。

これほど観た後に感傷的になる映画、それこそ『ゴジラ』を除けば日本の特撮・SF映画に類を見ないと思う(全部観たわけではないから思い込みかもしれないが)。特撮だのSFだのの枠をとり除いても、屈指の叙情的傑作だろう。素晴らしい、というか、この作品があまり有名でないのは至極残念。付け加えると、この頃の八千草薫は、主人公の台詞通り「この世のものとは思えぬほど」美しい。彼女を見るだけでもお金を払う価値はあると思う。

 
てな感じで、「変身人間シリーズ三部作」、液体(水)人間にガス人間とくればあとは電気だよね、ということで(?)もう一つ『電送人間』なる作品があるのだが……どうも食指が伸びないんだよなあ。なにしろ主演が鶴田浩二なのである。東宝特撮映画に鶴田浩二……しかもヒロインは白川由美(まあ普通にきれいな人だとは思うが。)うーん、電送人間役は中丸忠雄御大だから、それは観てみたいけれども……。

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コメント

こんにちは、晴雨堂です。はじめまして、映画ブログを書いています。

 同じ点に感動されたようですね。私も八千草薫氏の美しさに感動した口です。
 観客が逃げて誰もいなくなった劇場で、独り楽しそうにハシャイで拍手する場面は切ないですね。自爆を決意している家元の悲哀が強調されます。

どうも。はじめまして。

そうなんですよね。この映画の八千草さんは本当にこの世のものとは思えないほどきれいで……でもだからこそ、もの悲しさ、哀れさが増すという。

脚本の良さもさることながら、女優さん固有の「力」が映画を傑作へ押し上げた良い例と言えるのではないでしょうか。

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