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2015年02月08日

●『ディズニープリンセスと幸せの法則』

今までも書いてきたとおり、この冬は子供のプリンセスブームにつきあってディズニー映画を見続けていたんだけど、そんな僕にぴったりの本が出ていたので読んでみた。

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荻上チキ著『ディズニープリンセスと幸せの法則』(星海社新書)。気鋭の若手評論家である荻上さんが、ディズニープリンセス映画の歴史を3つの時期に分けてそれぞれの時期の作品に共通する法則(ディズニーコード)の変遷を解説した本。


ここで言う3つの時期とは、まず美男美女の王子様お姫様が悪を倒して結ばれる『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』の古典期。続いて抑圧や身分違いからの解放を特徴とする『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』のルネサンス期。そして『塔の上のラプンツェル』を経て『アナと雪の女王』で一つの到達点に至った、寛容と共存を尊ぶ現在。

やや図式的なところはあるけれど、なるほど、ディズニーの物語というのは時代に合わせて進化しているのね、と。また、各時代の中でも随時バージョンアップは行われていて、たとえば『白雪姫』では抽象的な機能に過ぎなかった「王子様」が『シンデレラ』で名前を得て、さらに『眠れる森の美女』では生き生きとしたキャラクターとなった、とか(これは僕も気づいた)。

もちろん時代を経ても変わらない部分もあって、たとえば「ヒロインは(形は様々なれど)最終的に真実の愛を得る」「権力欲に取りつかれた悪者(ヴィラン)は自滅する」「(人殺しの場面を見せないために)ヴィランは倒される前に怪物化する」といったあたりが代表例だろうか。そういやそうだ、マレフィセントやアースラの巨大化にはちゃんと訳があったか。

他にも、共通法則(コード)や各作品の特徴や差異を導き出すため、物語や台詞、劇中歌に関して無数の読み解き(各作品でなされる「三度の反復」の抽出とか)がなされていて、頭の良い人が気合を入れて見るとここまでのことが考えられるのか、と感心しながら飽きずに読み通すことができた。いや、ちょうど事前に各作品を観ていたこともあって実に面白かった。


ただ、ちょっとだけ引っかかったのは、著者本人も「『アナ雪』中心史観」と書いているように、『白雪姫』に始まって『アナ雪』に至る様々なアップデートをポジティブな進化としてひたすら肯定的に捉えていること。ある種の進歩史観というか。

僕も基本的には荻上さんの見解に同意なんだけど、でも一方でそうしたアップデートによって失ったものもあるんじゃないかという気もするのだ。たとえば『アナ雪』は確かに今時の現実や理念にきちんと沿っていて、色々と語りたくなる優れた作品だとは思う。でも、僕は意外とノレなかったんだよね。なんというか、古典作品のような御伽噺としての「宝物感」がなくなってるよなあ、というか。

ここら辺の感覚の違いは荻上さんと僕との年齢差(彼が7つ年下)や子供の有無の違い(「自分が見る」のが主か「子供に見せる」のが主か)によるものなのか、あるいは単に僕の感覚が古くて保守的ということなのかはわからないけれど、僕としては「御伽噺は御伽噺として、必ずしも現実に沿っている必要はないのではないか」という思いが残るのだ。どうしても。

まあ、こういう事を延々と考えたり語ったりできること自体が、ディズニー映画の積み重ねてきた物語世界の質の高さとその歴史の厚みを物語っているわけだけれども。結論としては、やっぱりディズニーは凄いし、それをここまで読み語れる荻上チキも凄い、と(笑)。おすすめ。


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