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2015年02月03日

●『イスラーム国の衝撃』

中東における日本人人質殺害事件によって、人類社会のどす黒い部分をあらためて目の前に突きつけられた思いがしているわけだが。


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ここ数日、池内恵さんの『イスラーム国の衝撃』(文春新書)を読んでいた。イスラム政治思想を専門とする東大准教授が「イスラム国」台頭の背景や経緯、彼らの戦略などについて解説した本である。

現在「イスラム国」を扱った本は幾つも書店に並んでいるのだけれど、この本を選んだのは記述のバランスが良さそうだったから。実際に読んでみると、「イスラム国」を巡る諸事象について扇情的な書き方をするでもなく、彼らを貶めるでも擁護するでもなく(他の本を軽くめくってみた限りでは、偏った論調のものも多いみたいだ)、淡々と冷静に、わかりやすく説明してくれている。

アル・カイーダをはじめとするグローバル・ジハード運動の流れ、イラク戦争と「アラブの春」によって中東地域を中心として出現した「統治されない領域」、そして目新しさのない(つまりベタな)「イスラム国」の原理主義思想と即物的で残酷で、見方によっては斬新に見える手法……。

この手の社会的な怪物については、僕たちもオウム真理教事件を経てある程度は知ったつもりになっていたのだけれど、それが中東というただでさえ歴史的・政治的に困難の多い地域の、特に長年の紛争で疲弊しきった空白地帯に生じると本当に手がつけられなくなってしまうんだな、と。読んでいて暗澹たる思いに襲われた。でも、確かに存在しているんだな、彼らは。

いずれにせよ、もはや(本当はこれまでも)日本は「イスラム国」とは無関係ではいられないわけで、この本はベースとなる知識を得るにはうってつけの一冊だと思う。今後の展望や「ではどうしたら良いか」というあたりについては触りないしヒント程度しか書いていないのだが、それはこれから皆で考えていくべき事柄なのだろう。


で、この本を読んだ上で、僕が考えているのは以下のようなことだ。

一昨日のブログにも書いたことだが、「イスラム国」のような連中のテロリズムが(宗教的なごたくや装いをある種の隠れ蓑にしながら)文字通り恐怖によって平和な日常を潰乱することを目的としている以上、奴らに対抗するために最も大切なのは、僕らのこの日常をできる限り、歯を食いしばってでも守っていくことだろう。当然といえば当然なんだけど。

たとえば、昨日アメリカンフットボールの最大イベントであるスーパーボウルが行われたけれど、24年前、アメリカ合衆国は湾岸戦争中のテロへの大いなる懸念の中、それでも断固たる厳戒態勢を敷いてスーパーボウル(あの時はジャイアンツ×ビルズだっけ)をやりきったんだよね。結果的にあれは暴力に屈せず、大事なものを守るんだという大きなメッセージになったと思う。

もちろん、それに加えて、中東をはじめ世界中で「イスラム国」などの暴力に脅かされている人たちに共感を持ち、できる限りの手を差し伸べること。僕は軍事力の有効性を否定しないのだが(それでしか対抗できない部分はあるのだから)、最終的に暴力を無効化するのはさらなる暴力ではなく、人間同士の共感と連帯だと信じたいのである。

というか、そう信じられなくなったら、それこそあの黒覆面連中の思うつぼではあるまいか。


……もう少し書きたいことがあるような気もするのだが、頭の中がまだまだ整理しきれてないので、続きはまた後日ということで。


[注]

呼称の問題については、「ISIS」や「ISIL」などの呼び方もあって「テロリストの集団に「国」という呼び名は相応しくない」という意見もあるのは承知しているけれど、そこもまだ頭の整理がついていないので、自称という意味で「 」を付けて「イスラム国」と記載することにした。


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