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2014年12月23日

●『河北新報のいちばん長い日』

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『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(文春文庫)を読んだ。東日本大震災下、東北6県を発行区域とする地域紙「河北新報」が、自らも被災しながら東北の人々のために数々の困難を乗り越えて新聞発行を続ける様子を描いたドキュメント。
 
 
この本は河北新報社が自らを取材・報道対象としてとりまとめたものであり、核となっているのは震災1カ月後に行われた記者たちへのアンケート調査とのこと。そのためか、ドキュメンタリーとはいっても単一の著者によって書き綴られたようなストーリー性の強いものとはなっておらず、新聞そのものを文庫一冊分まで膨らましたような、いかにも新聞社が作ったというゴチャゴチャした仕上がりとなっている。

ただ、そんな雑然としたテイストは「震災直後」を描く上ではマイナスとなっていないばかりか、むしろ当時の混乱と緊迫した雰囲気をよく伝えてくれている。一体何が起こったのか、これからどうなるのか、いつまで続くのか、と不透明で不安だった数十日間。東京にいた僕らでさえ困惑しきりだったのだから、そりゃ被災地の真っ只中で懸命に闘ってた人々はその状況を整理して眺めることなんて無理だったろう。

フラッシュバックというと言いすぎだけど、読んでいるうちに幾度か、あの頃の事を思い出して胸が締め付けられるような思いがした。

 
読んでいて驚かされたのは、河北新報に関わる人々の「一回たりとも休まず新聞を出し続ける」ことに対する執念とも言える情熱である。本社ビルが大きな被害を受けた地震直後に号外発行を決め、多くの社員が泊まり込み、機材が破損するや他県の新聞社へ人を走らせて版を組み、ガソリンをかき集め、記者たちは徹夜で津波の傷跡も生々しい被災地を駆け回り、販売所が流されてもなお配達を諦めず新聞を配り続ける。

もちろん新聞屋としてのプロ意識、被災地における有力メディアとしての責任感は大きかったに違いない。しかし、この本に描かれている河北新報のこだわりはそれ以上のものであるように僕には思えた。何というか、僕たちの生きるこの社会におけるメデイア人としての本能ともいうべきものが。

その昔、小松左京のSF小説『復活の日』の中にこんなくだりがあった。致死性の未知の細菌が蔓延し、他の全世界とともに滅亡していく日本。しかし、その中で新聞社や放送局は崩壊の流れに抗うかのようにニュースを伝え続ける。記者の多くが死に、頁数や放送時間を減らしながら、ついには手書きの壁新聞レベルになりながらも、彼らは社会への呼びかけをやめなかった。だが遂に人類はその大半が死に絶えてしまい……。

『復活の日』を初めて読んだ時、この「滅び方」については「そんな美しいわけないよな」と思った。メディアの使命の重要性について語る人は多いけれども、実際に破滅的な局面ともなれば人間のエゴや弱さが露出して続けられないのではないか、と。だけど、東日本大震災というカオスな状況における河北新報の奮闘を知るにつけ、もしかすると小松さんの書いた事も大げさではなかったのかもな、と思ったりもする。
 
 
もう一つ、この本に共感したこと。それは、深刻な事実の数々に加え、それに関わった記者たちの迷いや後悔、釈然としない思いなどがストレートに載せられていることだ。破壊の甚大さに茫然自失とする気持ち、放置された遺体を記事にできなかったことについての自問自答、上空の取材ヘリから見たSOSサインに手を差し伸べられなかった無力感、そして原発事故の深刻化を受けて福島から退避したことへの後悔、etc。

おそらく、報道に限らず、当時震災対応をしていた人の多くが多かれ少なかれ同じような気持ちを抱いていたのではなかろうか。千年に一度の大災害の中での自分たちの無力さ、そして本当に自分はベストを尽くしたのだろうか。もっと頑張れた、あるいはもっと良いやり方があったのではないか、と。実のところ僕(は震災対応なんて言うのもおこがましい関わり方だったけど)も、未だにそういう思いを捨てきれないのである。

それでも、こうした人々の悩みや苦しみも含めて記録として残しておくことは、後世に同じような境遇に置かれる人々を助けることになるかもしれないし、そのように役立てなければならない、とも思う。いや、ホント、2011年の3月、時の最高権力者から現場の作業員に至るまで、ほとんどの人は本当に頑張っていたと思うのだ。後出しジャンケンでそう簡単に批判しちゃしかんと思うのだよ、検証は必要だとしても。
 
 
しかし、あの震災からもうすぐ4年になるんだね。僕が気仙沼に行ったのが2012年の年明けだったから、それから3年も経つのか。東北の「復興」というのが果たしてなされたのかなされつつあるのかあるいはなされ得るのか、もう一度考えてみる必要はあるな、と。そんな事も考えさせられた。おそらく、「河北新報の(そして東北地方にとって)いちばん長い日」はまだ続いているのだ。
 

 
 
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