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2011年08月15日

●『地には平和を』

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先日亡くなった小松左京さんのSF実質デビュー作『地には平和を』を読み直した。文庫は全て絶版になっているようだが、同作が収録されているハルキ文庫「時の顔」の中古をアマゾンで見つけたのですかさず購入。


『地には平和を』のストーリーはこんな感じだ。舞台は1945年10月末、広島に投下された原爆が不発に終わり、8月15日のクーデターが成功して本土決戦へ突入した日本。少年兵ばかりの「黒桜隊」に所属する15歳の河野康夫は、押し寄せる米軍に追われながら天皇が立て籠もる信州目指して逃亡を続けていた。ある日康夫はついに米軍の銃火を浴び爆発で投げ出されて瀕死の状態に陥るが、そこに「Tマン」と名乗る謎の金髪男が現れて……。

粗筋からわかるように、これはパラレル・ワールドものにタイムトラベルの要素を組み合わせた正統派のSF小説だ。日本の本土決戦は未来からやってきた狂人が引き起こした「時間犯罪」だった。無謀な戦いが引き起こす膨大な悲劇を横目に見ながらタイムパトロールは懸命の捜索を続け、ついに犯人を逮捕する。そして1945年秋の「間違った歴史」が消去されるまでの僅かな間、パトロールの一員であるTマンは康夫に「本当の歴史」を見せてやるのだった。

僕がこの小説を好きな理由は、「本土決戦に至った」日本と「8月15日で戦争が終わった」日本のコントラストを鮮やかに描ききっているから。康夫の逃亡劇にせよその合間に挿入される本土決戦の経緯にせよ、現代からは想像を絶するほどの悲惨さに満ちている。飢えた兵士は次々と無残な死を遂げ、女子供は自決し、惨めな逃亡兵は同胞の密告でさらなる窮地に陥る。そして3発目の原爆。そこにあるのはただ絶望だけだ。戦後の平和とのあまりの落差。

中学生の時に終戦を迎えた小松さんは、自分も本土決戦で死ぬものだと思っていたそうだ。作中の2人の康夫、つまり勝ち目のない決戦で死を待つ15歳少年と戦後の平和の中で妻子とともにピクニックを楽しむ30男は、いずれも小松さんの分身に他ならない。だから、彼らがその中で生き、あるいは死んでいく「戦争」と「平和」の描写にはまさに当事者の目で見ているような迫真性がある。久方ぶりに読んでも変わらずみずみずしく、それでいて重い小説であった。

もちろん、歴史の虚と実、影と光を同時に一つの物語の中で見事に表現できているのはSFという方法論のお陰でもある。今では信じがたい話だけど、当時は「SF」というジャンルそのものが異端扱いされていたのだそうだ。しかし、にも関わらずこの堂々たる筋立て。その後の小松左京という作家の活躍ぶりを考え合わせても、おそらく本作は黎明期日本SFを代表する傑作の一つと言って良いのだろう。


実は3月11日に東日本大震災(と福島第一原発の爆発事故)が起きてからずっと、僕の中で小松さんの小説が読みたい気持ちが強まっていて、実際に何冊かは読み返したのであった。何しろ小松さんは「大いなる災厄と、それに立ち向かう人々の姿」を何度も何度も描いてきた作家だったから。今読まなくてどうする、と。『日本沈没』『復活の日』『さよならジュピター』、etc。そして中でも今最も読みたくて、かつ読めなかったのがこの作品だったのだ。

今回の震災は、直接の被災者でない僕たちにもこの社会や日常生活、享受している平和の脆さと危うさを突きつけてきた。だからこそ、歴史には常に悲劇と平和の両方の可能性があること、いずれにせよ今ここにある歴史を生きねばならないこと、仮にその歴史=本当の歴史が平和なものであるのならばそれはこの上なく貴重なものだし、固く守っていかなければならないこと。それを僕はこの小説を読み返すことで確認したかったのだ。できた、かな。


この作品のラストシーンは何度読み返しても感動的だ。狂人の手から取り戻された「本当の歴史」(それは僕たちの歴史でもある)における戦後の菅平高原。商社マンとなっている康夫は妻子とともにピクニックに興じていたが、彼の息子が(消滅したはずの歴史から飛ばされてきた)「黒桜隊」のバッチを拾ってしまう。康夫の意識の片隅を一瞬奇妙な暗い感情が吹き抜け、目の前の美しい光景やその時代全体が色あせ、腐敗臭を放ち、おぞましく見えてしまう。

だが、それはまばたきする間の事でしかない。康夫は愛する子供を抱き上げ、深紅の落日の中でその「黒い小さいもの」を草むらへ捨てさせる。「おなかすいた」といばっていう子供。夕焼けこやけで日が暮れて……平和とはなんと貴重で尊いものなのだろう。小松さんが高らかに宣言するこのくだりは、若い頃読んだ時も感動したけれど、自分が結婚して子供も授かった今はその頃とは比べ物にならない。地には平和、天には光を。本当に、今はただただ、そう思う。


小松さんが先日亡くなってしまったのはとても悲しいことだけど、彼が素晴らしい作品を何冊も何冊も残してくれた事実に変わりはないし、少年時代に出会って傾倒した(筒井康隆さんと並んで最も影響を受けた作家だ)僕としてはいくら感謝してもしきれない。特に、この作品については、いつか自分の子供にも読んでもらいたいと思う。もしも彼女が読まなかったとしても、どこかで話を聞かせてあげたいな、と。

2011年8月15日の午後、黙祷を捧げながらつらつらとそんな事を考えた。小松左京さんと、そして先の大戦で亡くなったたくさんの方々のご冥福をお祈りします。
 

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コメント

小松左京氏の本は読んだことがないんですが、とても興味深い本ですね。震災後ならずとも、日本の未来に対して明るくない話題を日々目にしているので、まさに今こそ読まれるべき本のように見受けました。

うまねんさんのTweetを見て、自分も子どものころに漠然と核戦争におびえていたことも思い出しました。振り返ってみると、もっと明るく楽観的に未来を見ていくべきなのかもしれないですね。世の中ってのはいつの時代も不確実なんですから。

小松作品にとても興味を持ったので近いうちに読んでみたいと思います。

どうも、ご無沙汰してます。

今は困難な時代であるのは確かだし悲観的になるのは仕方ないとも思うんですけど、絶望する必要はないし、絶望しちゃいけないと思うんですよね。

くさい物言いですが、無邪気なうちの赤ん坊の笑顔とか見ていると、ホント「この子のためにより良い世界を作らないとな」と思います。

この記事でとりあげた小松さんも、戦後の焼け跡から出発して、最後まで前向きなヒューマニズムと人類の理性への信頼を決して忘れない人でした。

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