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2011年08月12日

●絶望に次ぐ絶望、だが / 『戦場のピアニスト』

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これもHDDレコーダーの底に眠っていたもの。ロマン・ポランスキー監督『戦場のピアニスト』

ポーランドに住むピアニスト、シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)とその家族の生活はナチス・ドイツの侵攻によって一変した。彼らを含むユダヤ人はゲットー(ユダヤ人隔離居住区)で様々な迫害に晒されながら強制労働に従事させられ、さらに絶滅収容所へ移送されていく。1人難を逃れたシュピルマンはレジスタンスにかくまわれながらワルシャワ市内で逃亡生活を続けるが……。
 
 
観る前からわかっちゃいたけど、とても重たい、「腹の底に来る」作品だった。

映画の前半は、シュピルマンと家族の視点からナチスのユダヤ人迫害が描かれる。これが、いきなり最悪の状況に陥るわけでなく、徐々に段階を踏んで追い込まれる感じで、ジワーッと恐ろしいんだな。まず街を支配され、次に財産を没収され、腕章の着用を強制され、ゲットーに移動させられ、時には街で侮辱されたり暴力をふるわれながら強制労働させられ、反抗するものは射殺され……。

そして、彼らはついに絶滅収容所行きの列車に乗せられてしまう。過酷な状況に耐えてはまた奪われ、の繰り返しで2年が過ぎて最後は皆殺し、という救いのなさ。ナチスの無慈悲な振る舞いはもちろん、射殺死体や人々の移送後空っぽになったゲットーの寒々とした描写には慄然とさせられた。あと、捜索逃れのために赤子を殺してしまい取り乱す母親(自分も直後に収容所行き)とか。

映画の後半になると、シュピルマンは逃亡の先々でゲットー蜂起やワルシャワ蜂起の模様を目撃することになる。ここでもまた絶望の繰り返しは変わらない。蜂起はいずれも失敗に終わり、シュピルマンを匿う人々も次々に捕らえられていく。シュピルマンが隠れ家に引きこもり、時には朦朧としながら窓から眺めるそうした様子は、まるで睡眠から覚めても覚めても終わらない悪夢のようだ。

で、シュピルマンはとうとうある廃墟の中で独軍のホーゼンフェルト大尉に発見されてしまう。しかし、ホーゼンフェルトはシュピルマンのピアノ演奏を聴いた後、なぜか彼を屋根裏部屋に匿ってやる。ここは劇中ほぼ唯一の心温まる場面だ。とはいえ、やはりハッピーエンドとは行かない。シュピルマンは助かったものの、逆にホーゼンフェルトはソ連の収容所で不遇の死を迎えるのだ。
 
 
結局、最初から最後まで残酷な出来事が連鎖して終わる映画であった。

ユダヤ人迫害を描いた映画で思い浮かぶのはまず『シンドラーのリスト』なんだけど、あの映画は客観視点だったし、白黒画面のせいもあってどぎつさは少なく、ストーリーや演出にもわかりやすいヒューマニズムがあった。だが、シュピルマン本人が原作の本作は、まるで目の前で惨劇を目撃しているように生々しい。そして、ポランスキー監督の冷徹な描写がそのむごさに拍車をかけている。

ポランスキー監督は幼少期をゲットーで過ごし、母親はアウシュビッツで殺され、間一髪難を逃れた彼も逃亡生活を余儀なくされたのだとか。だからこの物語はまさにポランスキー自身の(そして少なからぬヨーロッパ人共通の)物語でもあるのだろう。というか、彼のどこか広漠として冷たい感じの作風にはそういう体験が影響している、というのは元々よく言われる話ではあるけど。

あと、驚くべきは、この物語がほぼ実話ということだろう。こんな過酷な体験をした人の心象風景というのはちょっと想像がつかない。恐怖感は大変なものだったろうし、無力感に苛まれたに違いない。映画の後半では、そうして周りの知り合いが皆殺される中でただ1人生き残った男の虚無感みたいなものが強く感じられた。廃墟の中を1人ヨレヨレと歩いていくシーンが象徴的である。

いやホント、悪夢をまさにその只中で見せられているような味わいだった。

ただ、ここまで書いたのを読み返してみると本当に悲惨で暗いだけの映画のように思えるのだけど、実は見終わっての後味はそれほど真っ暗でもなかったりする。それは、ひとえにシュピルマンのピアノ演奏シーンが素晴らしいから。ホーゼンフェルトに救われるシーン、そしてエンドロールに重なる演奏会のシーン。シュピルマンの指はどんな状況においても力強く、しなやかで、美しい。

何というか、作品の大半を占めるのは絶望の2文字なのだ。登場人物たちは主人公を含めて皆無力で、惨劇を避ける力も術も持ち合わせない。けれど、どんな悲劇であっても骨の髄まで染みこんだピアニストとしての本性は奪えないし、芸術は力強く生き残っていく。ポランスキー監督は演奏シーンにそんなメッセージを込めたのではなかろうか。絶望というものを真に知る人だからこそ。

まあ、何にせよ、一見の価値のある映画だとは思う。気分がふさいでいる時とかには決してお薦めできないけれど。
 
 
[付記1]

ポランスキー監督といえば、奥さんのシャロン・テートが妊娠中にマンソン教団に殺されてしまった事件やジャック・ニコルソン邸での淫行事件が有名だけど、今の奥さんは32歳年下の女優さんエマニュエル・セニエなんだってね。一時はナスターシャ・キンスキーとも愛人関係にあったというし、陰のある男性というのはやっぱりモテるのだろうか……。
 
[付記2]

物語の終盤はシュピルマンが傍観者でもいられなくなり、戦車の砲撃や火炎放射器の噴射から間一髪で逃れるサバイバル・アクションの様相を呈するのだが、仮に『シンドラーのリスト』と監督を取り替えたとしたら、あそこら辺は妙にブラックなギャグ調のシーンになるんだろうな、とちょっと妄想したり。ソ連軍に救助される場面とかもギャグと紙一重だし。
 
[付記3]

別にシュピルマンは出征してピアノを弾いていたわけじゃないので、邦題の『戦場のピアニスト』はちょっと内容とズレているように思える。映画の主題からすれば、原題の"The Pianist"の方が(当たり前だけど)しっくりくるね。
 

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