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2010年05月12日

●『吸血鬼ノスフェラトゥ』『アンダルシアの犬』『M』

今年のゴールデンウィークはまさに「五月晴れ」という感じで非常に天気が良かったのだが、そんな時に限って古い、モノトーンの、暗〜い映画が観たくなったりするのである。以下、いずれもDVDで観た3本の名画のレビュー。
 
 
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F・W・ムルナウ監督『吸血鬼ノスフェラトゥ』。ドイツ表現派の巨匠がブラム・ストーカーの小説を映画化した吸血鬼映画の原点。ブレーメンで不動産業に従事する主人公ハーカーは上司の命令により契約を結ぶため、トランシルヴァニアのオルロック伯爵の下へ送られる。実は伯爵は吸血鬼であり、ハーカーの妻ニーナを見そめた伯爵は海路ブレーメンの街へ向かった。無数のペスト鼠とともに……。

怪奇映画の古典中の古典だけあって、不気味さと荘厳さに満ち満ちた映像美が凄い。

まず見物なのはやっぱり吸血鬼(ノスフェラトゥ)の造形だろうか。演じたマックス・シュレックはとてもこの世の者とは思えぬ恐ろしい姿(まあメイクだとは思うが)、さすが後に「シュレックは本当に吸血鬼だった!」という設定の『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』なる映画が作られただけのことはある。加えて、吸血鬼の超常的な動きや、影と深い暗闇を生かした重厚な演出、完璧な美術によって作り上げられた19世紀の街並、そして登場人物たちの悲痛な運命。

単に怖い「だけ」ではない。我々の住む日常と離れた、ある種の異世界を確かに目にすることができる。だから「恐怖映画(ホラー映画)」ではなく「怪奇映画」と呼びたい。そんな作品。

そういえば、この映画をリメイクしたヴェルナー・ヘルツォークの『ノスフェラトゥ』(吸血鬼役はクラウス・キンスキー!)の方は昔観たことがあった。あちらは恐怖演出よりもペストの蔓延した街の退廃的な雰囲気とか、ヒロインのイザベル・アジャーニが吸血鬼に身を(血を)捧げる際のエロティックな雰囲気とか、あと結末がかなり皮肉っぽく改変してあったのが印象的だった。まあ、オリジナルがこれだけ完成度高いと、リメイクはそりゃちょっと変化球にもなるよな。
 
 
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ルイス・ブニュエル監督『アンダルシアの犬』。後に巨匠となる若きブニュエルがサルバドール・ダリと共同制作した、シュールレアリズムの古典。満月をよぎる細長い雲と眼球を切り裂くカミソリ。路上に落ちた手首。欲望むき出しの男、女の脇毛。そして海岸を歩く恋人たちと、うち捨てられた彼らの骸。不可思議なイメージの断片が次々錯綜していく。

いやあ、観ていて全くわけがわかりませんでした(笑)。すいません。

この映画、ブニュエルとダリが自分たちが過去に見た夢を出しあって脚本にしたというのだが……そもそもこんな変な夢を見るというのが凄いよな。部屋の中で女を追いかけていたらひもに引っかかって、そのひもを引っ張ったら修道士とピアノと死んだロバが出てきた、とか。そのシーンとかラスト前の「部屋を出たら海岸」とか、空間認識のおかしさみたいなのはいかにも夢の中だなあ、とは思った。掌の穴から蟻が這い出てくるのはもろにダリのイメージだよね。

まあ、なにしろシュールレアリズムだから。超現実を感覚的に理解すれば良いのであって、言葉でくどくど言っても仕方がない……ということにしておこう(笑)。ちなみに、この映画はニコニコ動画に全編アップされてます。興味のある方はご覧あれ(ただし眼球カミソリシーンに注意)。
 
 
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フリッツ・ラング監督『M』。戦前ドイツ映画の巨匠が初めてトーキーを手がけた犯罪サスペンスの傑作。舞台は1930年代のベルリン。連続幼女殺人事件に対する警察の捜査が厳しくなる中、なかなか解決せぬ事件に業を煮やした暗黒街の犯罪者たちは自分たちで犯人を捕まえることを思い立つ。捜査の鍵は、犯人の吹く口笛にあった。

こういう映画はどう言ったらよいのだろう。8人目の女の子が犠牲になる様を描く冒頭のシークエンスから始まって、初めのうちは猟奇殺人犯と警察の攻防と思っていたらいつの間にかギャングと警察の捜査が錯綜し、ふとした手掛かりからの正体の露呈と追跡劇を経て、最後はなんとギャング主導の(!)息詰まる法廷劇に。卑劣な犯罪者が哀れな逃亡者に変わり、凶悪な犯罪者がまるで社会正義を代表するかのような振る舞いを見せる。その転倒が大変に面白い。

描写の方も、女の子が殺される場面などは(描写が間接的なだけにかえって)非常に不気味だし、その一方で警察やギャングの捜査にはコミカルな要素も混ざっている。そして、追跡のサスペンスと、クライマックスの法廷シーンにおける殺人鬼の「告白」や弁護人の演説のシリアスさ。要するに様々なテイストがごった煮になっていて、それでいて完成度の高い一つの作品になっているのが凄い。個人的にはこういうのが「映画の王道」なんだと思ったりもする。

しかし、80年前の時点で既に「連続殺人の病理的側面」を強調しているあたり、かなり先進的な発想の映画でもあったんだろう。で、そんな最低の連続殺人鬼であっても法によって定められた保護を受けるべきであると断固主張するくだりは、さすがドイツというか、このすぐ後にワイマール共和国が崩壊することを考えれば皮肉というか何というか。うん。
 

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