●『アンチ・ドロップアウト』『マスコミはもはや政治を語れない』『多読術』
最近読んだ本、いくつかについて。
小宮良之著『アンチ・ドロップアウト〜簡単に死なない男たちの物語』(集英社)。財前宣之、石川直宏、小澤英明、阿部祐太朗、廣山望、佐藤由紀彦、金古聖司、藤田俊哉、茂庭照幸、李忠成……かつて日の丸のユニフォームに袖を通しながら挫折を経験して下部リーグなどに場を移し、しかしなお戦い続ける元Jリーガーたちの物語。
テーマ的にはありがちと言えばありがちなものだし、劇的に盛り上げようとして妙にクサくなっている部分があるのも否定できない。だが、それは筆者もある程度承知しているのだろう、ギリギリのところで筆は抑制されており、エピソードとしては共感度の高いものがほとんどなだけに普通に読めば普通に泣ける本だ。だから、取り上げられた10人のうちのいずれかに思い入れがあれば読んだ方がいいと思うし、Jリーグファンなら少なくとも損はしないかな、と。
しかし、この手のサッカー選手のドラマというのは、多くの場合やっぱり「怪我」もしくは「コーチとの葛藤」の話になるんだね。財前(靱帯断裂3回!)を代表とする前者が壮絶なのは言うまでもないとして、後者もこうして色々読んでみるとなかなかに味わい深い。石川と原・城福、阿部と大熊、廣山とトルシエ、etc。廣山という人物の素晴らしさについて超的確に表現したトルシエの言葉に感動したり、プロとしての選手を尊重する振る舞いでちょっとジーコを見直したり。
「ああ、でも俺たちはまだ死んでねぇよ」という藤田のセリフは、ちょっとしみたね。
佐々木俊尚著『マスコミはもはや政治を語れない 徹底検証:「民主党政権」で勃興する「ネット論壇」』(講談社)。前著『2011年 新聞・テレビ消滅』では近未来におけるマスメディアの没落を予見した著者が、政権交代後の日本社会におけるネットメディアを巡る諸々の事象を論考した一冊。つか、最近の新聞・テレビの報道が気に入らない僕なんかにはピッタリの本(笑)。
『2011年〜』は「プラットフォームシフトによる新聞・テレビの没落→ネットを中心とするミドルメディアへの移行」という結論ありきの構成をとっていたのに対し、本書では政権交代や記者クラブ、ネット右翼、電子民主主義、「小沢問題」等々についてネット論壇の紹介を中心に語りつつ、あえて結論づけない手法をとっている。おそらく政権交代後の変動の大きさや不安定さを意識しているのだろうが、個人的にもこちらの方が考える余地があって好きではある。
とはいえ、「間もなく世界は変わる」という結びの言葉にも見られるように、やはり「新聞・テレビ→ネットメディア」という筆者の基本的な考えは全く変わっていないし、僕も大きな方向性としてはその通りだと思う。ただ問題は「変わった」後のあり方だよね。この本の中でもほのめかしてあるように、決して楽観できる状況ばかりではないのだろう。だいいちネットからこぼれ落ちる人々(例えば僕の両親とか)はどうなっちゃうんだろう、という根本的な心配が……。
松岡正剛『多読術』(筑摩書房)。編集者にして作家、日本文化研究家であり、かつ「読書の達人」としても知られる松岡氏が語りおろす読書方法論。
本書で語られる書き込みの多用や辞典・地図等のツールの駆使、複数冊併行などによる読書術は興味深く(でも実践するにはかなりの時間と手間が要りそう)、「読書は様々な有り様のあるカジュアルなもの」という懐の深い認識も好ましく思える。とかくこの手の本は説教臭くなりがちなものだから、ね。また、「読書とは編集(一種のコラボレーション)」という主張にも大いに頷けるところ。「読書=一方向的な情報の受領」と思い込むから苦しくなるんだよな、きっと。
もっとも、そういった内容以上に圧倒されたのは、「粗読」「狭読」「雑読」「食読」「感読」「共読」「乱読」「系読」「対角線の編集読書」「目次読書法」「意味の市場」「間テキスト性」なんて言葉を散りばめながら、子供時代からの読書履歴や独自の読書法を嬉々として新書一冊分語りまくるセイゴオ氏の読書オタクっぷりだろうか(笑)。この人、今までに何万冊読んでるのだろう?本当に読書が好きで好きでたまらないという風情がなんというか……いいよなあ。
ちなみに僕は、今年に入ってからこの本で9冊目。例年よりも少しペースはいいけれど、もう少し読みたいところかな。机の横に積んである本ばかりが増えちゃって……。