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2010年02月25日

●『幕末太陽傳』

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NHK-BSで録画した川島雄三監督『幕末太陽傳』を観た。時は文久2年(1862年)、ところは品川の遊郭街。無一文で豪遊したカドにより遊郭旅籠で働くことになった「居残り」佐平次(フランキー堺)は、知恵と図々しさを武器に大活躍を見せて旅籠内でのし上がっていく。その頃、同じ宿では高杉晋作(石原裕次郎)ら長州志士たちが御殿山の異人館焼き討ちを企てて……。
 
 
まずはピチピチとした、イキの良さが印象的な映画だ。

現代(1957年)の品川赤線風景を映した、意表を突く冒頭シーン。溢れる頓知で軽快に痛快にトラブルを解決し続ける主人公。ひたすら若く熱く無謀な幕末の志士たち。美しさとしたたかさでナンバー1を競う遊女たち。エネルギッシュな欲望むき出しの遊郭。そしてドタバタと古典落語のエピソードが連鎖していく物語。そのどれもがバイタリティーに溢れており、役者たち(二谷英明とか小沢昭一!とか)の若さとも相まって頬が自然と弛んでくるような感覚を覚えた。

スーパー町人ぶりが板に付きまくりのフランキー堺は文句なく好演だけど、脇役の石原裕次郎もいい。生意気で、子供っぽくて、攻撃的で、でも度量が大きくて、という高杉晋作にはピッタリの配役だ。演技は決して上手とは言えないけれど(笑)、それはスターにとって大したことではない。発する光というか、ありていに言えば「オーラが違う」というか。今の日本映画に足りないのは「達者な役者」ではなくこういう存在なのかもしれない、と思ったりもする。

あと、売れっ子女郎のおそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)の2人も、今の目で見てもとても魅力的だった。美貌と賢さとズルさを兼ね備えた小悪魔たち。なるほど売れっ子ってのはこういうものなのだろうし、「きれい」というより「かわいい」感じで描いているのは今も昔も変わらない日本人男子の性なんだろうか(笑)。

もっとも、そんな感じで楽しいムードに満ちあふれていながら、犬や猫の死体が映ったり心中未遂の話があったり労咳を患った佐平次の咳が次第に増えたりと、「死」を示唆するような表現が時折挿入されるのもこの作品の特徴、というかやはり昔の邦画は一筋縄では行かないというか。その他の場面の弾けるような生命力とのコントラストは愕然とするほどだ。ラストシーンは何と墓場。タチの悪い客を煙に巻こうとして失敗し、咳き込んで追い詰められる佐平次。

しかし、そこで最後に「俺はまだまだ生きるんでえ!」と叫んで海岸沿いの道をどこまでも駆けていく佐平次の悪あがきは何と爽快なのだろう。単純に明るい一本筋の馬鹿話にしてしまうのではなく、不吉さや哀しさもきちんと観客に突きつけた上で、それでもなお生命の力を肯定していこうという前向きな姿勢。揺さぶった見せ方の妙。個人的にこういうのはすごく好きである。

なんつーか、日本映画黄金時代終盤の勢いと活力がそのままフィルムに焼きつけられているような。とても元気の出る映画だったように思う。


[付記]
Wikipediaの記述によれば、この映画には「幻のラストシーン」があり、本当は最後佐平次は海岸沿いの道を走っていくのではなく、墓場のセットを突き破ってスタジオの外に飛び出し、1957年の品川の街へ走り出すという設定になっていたのだそうだ。いやー、実際の「海岸をどこまでも」のシーンも良かったけど、幕末から現代へ一気に飛び出す演出の方が冒頭シーンともつながるしもっとパワフルな感じが出るしで、絶対良かったろうに。
 

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