●『卒業写真』
3日前のエントリーでは荒井由実(松任谷由実)さんの『ひこうき雲』について書いたんだけど、一緒にiTunesストアで買った『卒業写真』も、言うまでもなく歴史に残る名曲なんである。1975年発売の3rdアルバム「COBALT HOUR」に収録。
今になって「こんな良い曲だったんだ」と聴き直して感動した『ひこうき雲』とは違って『卒業写真』は僕の幼い頃からずっと世間的にも有名で、ラジオなどで幾度となく耳にしてきた曲だ。僕の生まれた翌年に発売され、以後数多くのアーティストにカバーされてきたことを考えればまあ当然だろう。ハイ・ファイ・セットをはじめとして、最近でも徳永英明さんとかいきものがかりとか。
歌の内容としては、「とある女性がヘコんだ時に卒業アルバムを開いては、青春時代に思いを寄せていた彼を思い出して自分を励ます」というもの。
悲しいことがあると 開く皮の表紙 卒業写真のあの人は やさしい目をしてる
まあ、後ろ向きと言えば後ろ向きであるし、暗いと言えば暗い歌詞かもしれない。でも、これがジーンと来るんだよね。切ない感じが胸の底から沸いてくるというか。どんなに普段明るく振る舞ってようが強気の発言をしていようが、こういう歌を聴くたびにしみじみと自分の(良くも悪くも)弱さ・脆さを実感するし、そうやって感動を覚えられるうちはまだ大丈夫かな、と。
過去の時間軸に「憧れの他者」を据えて、それとの対比で現在の自分や世界を語る、という構図は『ひこうき雲』と同じ。ただ、「空」「雲」といったモチーフを重ねて抽象度を高めていた『ひこうき雲』に比べると、「卒業」「同じ学校の彼」という具体性の高い経験を中心に語る『卒業写真』は、普通の人にとってより共感しやすい作品であると言えるかもしれない。
いずれにせよ、『ひこうき雲』に負けず劣らず素晴らしい曲だと思う。空元気を呼び起こすような歌ではないかもしれないけど、でも普段世間と前向きに戦っている人であればあるほど、1人になった時にふと青春時代に立ち返りたくなる(好きだった人の写真を取り出したくなる)ユーミンの思いに自分の心情を重ねられるのではないかな。
人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたはときどき 遠くでしかって あなたは私の青春そのもの
憧れとは理想であり、自分を写す鏡でもある。変わらないあの人、変わっていく自分。いつまでたってもあの時代のあの人は、私の心の中にそのままの姿で立っている。気がつけば「青春時代の彼の姿に励まされる」彼女の姿を想って、自分も同じように励まされている僕たちがいる。
そういえばこのエントリーを書いてて思い出したのだが、『卒業写真』で僕にとってなじみ深かったのは、どちらかと言えばハイ・ファイ・セットの方だったのだ。山本潤子さんの美しいボーカルがとても印象的な、完成度の高いカバー。ユーミンは正直あまり歌が上手いとは言えない方だし、普通に考えれば響きのきれいなハイ・ファイ・セット版の方が良いだろう、と。
だから以前mixi日記で「ファイハイセットの方がいいな」と書いた時、ある友人に「でも、ユーミンの方が好き」と主張されてちょっと考えさせられた。その人曰く「「叱って〜」ってところが、やっぱり対象がユーミンな気がするんだ。ファイハイセットさんは、叱られるような大人になってない気がするんだ。(中略)ファイハイセットさんのは借りもの感がするのだ。」と。なるほど。言われてみれば確かにこの歌の内容に合っているのはユーミンの歌声の方である。
当たり前だけど、その歌手が歌に合う合わないというのはままあるわけで、そういう意味ではやはり『卒業写真』はユーミンの歌なのだ。もっと言うと、松任谷由実さんという人は決してテクニック的には上手い方ではないかもしれないけど、不思議な力のある歌声を持っているんだよね。小沢健二さんなんかと通じるところがちょっとあるかな。
そういやユーミン、今ちょうど苗場でウィンターライブ「SURF&SNOW」やってるのね。30年目か。凄いなあ。
ちなみに、僕は今年で36歳。高校を卒業してからもう18年になるのかと思うと愕然とする。ダブルスコアかよ、という(笑)。卒業アルバムの「美しい思い出」も、そろそろ開いてみるのが怖かったりしてな。