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2009年12月17日

●2009年去りゆく人々 (藤山竜仁 篇)

藤山竜仁選手 コンサドーレ札幌へ完全移籍決定のお知らせ (FC東京公式)
 
 
先週土曜日の『12番目の選手の日』も終わり、天皇杯を敗退してしまった東京は早くもシーズンオフである。時間もたっぷりあることだし(笑)、今年限りでチームを離れる選手たちについてダラダラと書いてみようか。まずはチーム最古参・最年長だった藤山竜仁選手について。
 
 
僕が藤山という選手を意識するようになったのは、1998年の後半、東京の試合に足を運ぶようになってすぐの事だった。地味な選手の多いチームにあって、左サイドをバンバン駆け上がって攻撃参加を繰り返す小柄な「8番」は非常に目立つ存在だったのだ。聞けば、高校(鹿児島実業)時代は前園の同期として全国選手権準優勝の実績もあるという。「下のカテゴリーにもいい選手がいるんだな」と、Jばかり観ていた身にはちょっとしたショックですらあった。

翌年、チームは「FC東京」として生まれ変わり、参戦したJ2で苦戦しながらリーグ2位の成績を収めた。藤山はSBとしてリーグ戦のほとんどに出場し、アマラオ・佐藤由紀彦とともにチームの柱として1部昇格に大きく貢献。攻守に見せる切れ味は相変わらずで、彼が活躍した試合後にはゴール裏から「フジヤマー、ニッポン!」コールが起こったものである。冗談抜きで、SBの層が薄かった当時の代表ならば、彼の入る余地もあるのではないかと思うこともあった。

なんというか、僕にとって当時の藤山は、東京というチームが「高み」を目指していく可能性を体現してくれていた選手だったのだ。少し大げさかもしれないけれども。

そして2000年、J1への挑戦。東京は快進撃を見せ、5連勝を記録するなどリーグに旋風を巻き起こした。もちろん藤山もレギュラーとして活躍。ただ、やはりJ1のアタッカーの能力は高く、また大熊監督のチームづくりが堅守速攻を指向したこともあって、JFL・J2の頃の積極果敢な攻撃参加がやや鳴りを潜めてしまったのが残念ではあった。それでもシーズンを通してフル出場。翌01年も30試合に出場し、欠かせない中心選手であったのは間違いない。

状況が変わったのは02年である。原博実監督を迎えた東京は「攻撃サッカー」を旗印に掲げてアグレッシブにボールを奪うスタイルに移行。若返り、勢いに乗るチームの中でフィジカルに恵まれない藤山は次第に出場時間を減らし、金沢が左SBに定着してからは完全に控えの座に甘んじることになった。攻撃的SBとして鳴らした彼が攻撃サッカーへの対応で苦しんだのは皮肉だが、それも選手としての限界なのかと寂しい気持ちになったのを覚えている。

だが、藤山は消えなかった。04年、茂庭が負傷欠場したシーズン序盤に原監督の英断でCBへコンバートされると、持ち味の鋭い読みと出足を生かして瞬く間に適応し、チームを支えることになった。中でも特筆すべきは同年のナビスコカップ決勝。ジャーン退場の苦境の中で途中出場した藤山は一世一代のパフォーマンスを見せてレッズの攻撃陣を見事に完封、チームに初タイトルをもたらした。ついに東京は藤山とともにカップウィナーへと登りつめたのである。

その後も藤山は若いチームの中でベテランとして、特に苦しい台所事情の時にしばしば良い仕事ぶりを見せてくれた。CB、SB、時にはボランチとして、熟練した守備の仕事ぶりは「職人」と呼ぶに相応しいものだったように思う。「あの藤山がねえ……」という感じ。06年のアビスパ福岡戦ではJ1初ゴールを決めて「ミスター東京」発言が飛び出し(笑)、07年にはリーグ戦・カップ戦合わせてなんと42試合への出場を果たした。まさに「進化する3○歳」、である。

そんな藤山も、30代半ばに差しかかり、また城福監督が藤山の苦手な(?)パスサッカーを目指したこともあって、さすがにここ2年間は出場機会が減っていた。決定的だったのは今季の米本の加入と、それに伴う今野のCBへのコンバート、さらに万能DF平松の加入であった。若い選手に押されて藤山は今度こそ出場機会を失い、今回の退団へと至る。本人にとってはともかく、チームとしては正常な世代交代の結果だから喜ばしいと言えるのかもしれない。

しかし、僕は、藤山はてっきり引退するものだとばかり思っていた。何しろ36歳、しかも高校卒業以来「ガスひとすじ」の選手である。それが請われての移籍、しかも札幌とは……面白い。
 
 
こうして振り返るに、藤山という選手はとにかく適応力に優れ、であるがゆえにその時々のチームに「足りないもの」を補うことができ、よって18年もの長きに渡って活躍できたのだと言えるだろう。ソリッドなスタイルの中で派手に攻撃参加したJFL・J2時代。攻撃を封印して堅守を支えたJ1時代前半。そして若手の中で経験とユーティリティ性を発揮してくれた近年。便利でそつのない選手だった。その分、存在感やリーダーシップにはやや欠けたかもしれないけど。

プレースタイルでは、フィジカルでこそ見劣りするものの読みと出足の鋭さは絶品で、バイタルエリアで見せるパスカットは芸術的な鮮やかさだった。もっとも、パスカットして一気に持ち上がったところで相手にパスカットされることも多かったのだが(笑)。攻撃の方では、若い頃のようなオーバーラップは年を追うごとに減っていったが、時折印象的なプレーがあった。たとえば02年天皇杯湘南戦、阿部吉朗のダイレクトボレーを引き出したアーリークロスのように。

ともあれ、見方は様々なれど、藤山が草創期のFC東京を代表する名選手の1人であることにはおそらく異論がないだろう、と思うのである。ないよね(笑)?

で、そんな藤山も来年はコンサドーレでプレーすることになるわけだが……まだイメージがわかないというのが正直なところ。彼が赤黒のユニフォームを着てる姿も想像し難いし、まして今のJ2でどうかというと……うーむ。ただ言えることは、札幌は平均年齢の非常に低いチームだけに36歳Jリーガーの経験は重宝されるであろうということと、監督の石崎さんは藤山と相性の良かった原監督と多くの共通点があるということだ。きっと頑張ってくれるのではないかな。

いや、ホント、とりあえず18年間ありがとうございました。
 

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