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2009年08月14日

●『意志の勝利』、そして75年後


先日、渋谷のシアターNでレネ・リーフェンシュタール監督『意志の勝利』を観た。ヒトラーの命令で作られた、1934年ニュルンベルクでのナチス党第6回全国大会の模様を記録した作品。あまりの出来の良さが仇となって忌まわしきプロパガンダ映画として歴史に名を残し、監督は映画界から追放、作品もほぼ封印状態にあるという「呪われた映画」である。おそらく本格的な公開は本邦初ということで、「この上映を逃してはならない」と足を運んでみた。
 
 
まず度肝を抜かれたのは、冒頭の美麗な空撮画面である。75年前にはさぞ神々しい景色に見えたに違いない。飛行機は雄大に広がる雲をなめて飛び、古都ニュルンベルクの美しい街並みを存分に映してから飛行場に着陸。片手を伸ばして「ハイル!」と叫ぶ群衆の最中、タラップから降り立ったのはもちろんアドルフ・ヒトラー!この劇的なオープニングからして凡庸な映画ではあり得なかろう。ヒトラーは大歓声の中、自信満々の表情で会場へ進んでいく。

その後は勇壮な音楽が流れる中、ヒトラーらナチス幹部の演説と群衆の熱狂、突撃隊SAや親衛隊SSの整然とした行進等々が続いていく。合間には陶酔する兵や市民の顔、ナチスのシンボルマークなどが挿入され、映像の意図するところは明白である。ただ、画面には統率感やメッセージばかりでなく美や豊かさといった要素もしっかり刻み込まれており、考え抜かれた構図や数々の技法は観る者を退屈させない。ここら辺は、監督の腕のなせるわざだろう。

また、特筆すべきは規模の雄大さでだ。クライマックスの夜の集会で光の中に浮かび上がる、大旗を掲げる20万人のナチス党員。ヒンデンブルクの追悼式典やパレードで一糸乱れぬ行進をするSA・SS隊員。そして舞台となったスタジアムなどの巨大構造物。それらを大がかりな空撮や移動カメラ・クレーンをバンバン使って撮っていて、その迫力たるや某半島独裁国家のマスゲームどころじゃないっすよ、先輩!という感じである。正直、すげーと思った。

最も気になるヒトラーについては、なんか「大きく」撮ってるな、と。アップやバストショットの多用だけでなく、おそらくカメラの角度や人物配置にも相当気を遣ったのだろう、体自体が大きく見える撮り方をしているようだ。「ヒゲの小男」には全然見えない(笑)。ヘスやゲーリングらの幹部を脇役に徹しさせる演出もあって、ヒトラーの偉大さが強烈に印象づけられる仕組みである。本人の演説もさすがの巧さ。聴衆の「ハイル!」「ジーク!」の大絶唱は……うーん。
 
 
この映画についてリーフェンシュタール監督は「興味があったのは美だけ」と語り、ナチズムへの荷担を否定したという。実際に観てみると、なるほどそうかもしれないとは思う。見え見えのプロパガンダ映画ながら、映像そのものの完成度や魅力のためだろう、意外なほどあざとさや言語的な主張性は感じられない。しかし、だからこそこの映画は「見透かされないまま」人の心に届く力を持っており、この上なく危険なのだ、ということは肝に銘じるべきだろう。

いや、「歴史」とか「政治」とか言った要素を考えなければ(そんな事はあり得ないが)、本当によくできた映画であり、アルベルト・シュペーア演出の党大会も実によくできたイベントに思えた。プロパガンダ自体は戦前の日本や旧共産圏だって、もちろん自由主義国だってやってきた事である。だけど、ナチスは演出力が段違いだったんだね、この作品を観ると。僕だって30年代のドイツに生まれていたらハマっていたかもしれない。げに恐ろしきは芸術の力である。

しかし、まあ、機会は限られているし、冒頭に「二度とあのような歴史を繰り返してはならない」云々という注意書きは付くにせよ、やっぱりこの映画を実際に観ることができるようになったのは良いことではないかとは思う。ありふれた言い方になってしまうけど、知らなければプロパガンダなるものがどういうものかもわからず、それに対して警戒する気持ちや姿勢も身につかないと思うから。同じく負の歴史を持つ国に住む者として、多分観ておいて損はない。
 
ちなみに、言うまでもなく、この映画が撮影された(つまりナチスの党大会が開催された)ニュルンベルクは、第二次大戦後にナチスドイツの戦犯が裁判にかけられた場所である。
 
 
[付記1]
シアターN渋谷は桜丘の坂途中の、昔ユーロスペース(今は円山町にある)が入っていた場所をそのまま使用したミニシアター。「シアターN」になってからは初めて行ったんだけど、なんか凄いラインナップなのね。今回は作品が作品だけにけっこうシブめの客層だったと思うのだが、上映前にかかる予告編が『吸血少女対少女フランケン』(笑)。コンセプトは「本屋さんみたいな映画館」か。本屋は本屋でも中野タコシェみたいな感じなんだろうか(笑)。いいねー。

[付記2]
『意志の勝利』における偶像化とも言えるようなヒトラー賛美を目にしてあらためて思ったのだが、ヒトラーという人は独裁体制下でこれだけ党員や軍人、一般国民の自分への忠誠を高めておいて、もし第二次大戦に負けなかった(第三帝国が存続していた)らいったい「自分の後」はどうするつもりだったのだろう。今際の際まで結婚せずに子供もいなかったのだから、世襲というのはあり得ないわけでしょ。まさか後継選挙というわけでもあるまいが……うーむ。
 

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コメント

こんばんはです。
結果的にレニ・リーフェンシュタールさんの人生を翻弄させた作品なんですね…。
SAの粛清の後で何故SAが写ってるのかな?と思っていたんですが地方のSAの人にも結束を促したって感じなのでしょうかね。
昔の記事ですが本人へのインタビューとか読み応えが有りました、職人肌な人だっんだなぁ…。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/berlin.htm
アマゾンでDVD買えるみたいですが劇場で観た方が良さそうですね、どうしようかな…。

http://www.youtube.com/watch?v=Q1LFWONlP_k&feature=related
違和感無さ過ぎでw
ニュルンベルグのマイスタージンガーのナチス宣伝版の映像の一部をバイロイト音楽祭の番組?で見たのを思い出しました。
後は対極の物として「Equilibrium」(邦題「リベリオン」)戦争を避ける為、全ての芸術が禁止された未来の話です。

どうもです。

>SAの粛清の後で何故SAが写ってるのかな?
ニュルンベルク党大会は「長いナイフの夜」事件の約2ヶ月後ですが、指導者だったレームが粛正されても組織としては存続していますし、むしろ残ったSAを懐柔するために、党大会ではSSよりもSAを前面に押し立てる演出が行われたのだと思います。

>職人肌な人だっんだなぁ…。
そうなんでしょうね。そういう人だからこそ、それこそ強いプロ意識に基づいてすごいプロパガンダを作ってしまったというわけで……。

>アマゾンでDVD買えるみたいですが劇場で観た方が良さそうですね、
劇場の閉鎖空間・大画面で観ることをお勧めします。1日3回上映してますよ。

>違和感無さ過ぎでw
その動画、映像は思いっきり『意志の勝利』のヒンデンブルク追悼集会の場面ですね。ホント、ぴったり(笑)。

つーか、『スターウォーズ』の帝国軍の制服もナチスを意識しているっぽい部分がありますし、日本でいえば『機動戦士ガンダム』のジオン公国は思いっきりナチスの亜流ですよね(デギン公王がギレンに「貴公はヒトラーのしっぽだ」という場面もあります)。現代の、第二次世界大戦後の文化においてナチスというものが典型的な「悪役」として定着している一例というか。

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