« この流れをのがすな ('09ナビスコ杯 vs清水エスパルス) | メイン | ガンダム台場に立つ »

2009年06月17日

●駒沢のおもひで

たまには最新の試合以外のこともちょっと。
 
 
土曜日のナビスコ杯清水戦は、FC東京のトップチームにとって駒沢陸上競技場での久しぶりの試合だった。僕の記憶が正しければ、2002年のナビスコ杯初戦以来か。あの時も相手は清水エスパルス。横浜から移籍したばかりの石川直宏がデビューした試合だった。右サイドから鋭く切れ込むドリブルには、それはそれはワクワクしたものだ。あれからもう7年か。今回技ありシュートで決勝点を挙げた姿と比べてみると、月日の流れを感じずにはいられない。

(……と思っていたのだが、よく調べたら2003年にナビスコ杯横浜戦を駒沢で開催していた。アテになりませんな、人の記憶は……。)

駒沢は、陸上トラックはあるし屋根はメイン側にしかないし照明はないしオンボロだしで、まあ一般的には良いスタジアムの部類には入らないのだろう。でも、2万人収容のスタンドはかつての東京にとっては丁度良く、ロケーションも緑豊かな公園の真っ只中、昼間のゲームものんびり楽しむ分には決して悪くない。僕にとってはどちらかと言えば好みの「ハコ」であったように思う。そのせいもあってか、駒沢で観戦した試合には強く印象に残っているものが多い。

たとえば、2000年5月の川崎フロンターレ戦(当時はもちろん「多摩川クラシコ」なんて呼び名はなかった)。東京はアマラオを欠きながらも森山泰行・中西哲生・菊池新吉ら(ついでに言うと、監督も元東京ガスの今井さんだった)を要する川崎を終始圧倒。2トップ神野・ツゥットの活躍もあって2-0で勝利を収めたのだった。小林成光と神野の2人カウンターから最後小林がGKまでかわしたゴール、良かったよなあ。J1定着の確信を得た一戦だった。

たとえば、2000年11月のヴェルディ川崎戦。翌年のホーム移転が決まっていた「読売」相手に闘志を燃やす東京は、早々に2失点を喫するものの、後半猛然と反撃し、ツゥットの2ゴールで同点に追いつく熱い展開。しかし、なんとロスタイムにカウンターから平本に決められて悔しい敗戦となってしまった。当時はヴェルディになかなか勝つことができなかったんだよね。ちなみにあの時のヴェルディの監督は、今大宮を指揮している張外龍さんであった。

そして、何といっても忘れられないのは、1999年ホーム最終戦の仙台戦か。攻めに攻めて23本ものシュートを撃ちながらも得点を奪えず、カウンター一発に沈んで自力昇格が消滅。「東すか」最終号にも書いたけど、試合後に顔を覆って倒れ込む由紀彦を助け起こしたアマラオも、選手を励ますサポーターの『You'll Never Walk Alone』も、とにかく感動的な光景だった。ある意味、東京ファンとしての僕の原点のような試合である。あれも駒沢だったんだ。

そういや、小峯の3rdユニ(ブログの左側に貼ってあるやつ)をハーフタイムの抽選で当てたのもあの仙台戦だった。入場するときに好きな選手の名前を書いて応募する方式だったかな。小峯の名前を書いた人が果たして何人いたのか……引換所に行って、マイクを持った人に「小峯選手のどこが好きなんですか?」とか聞かれて、答えに窮したのを覚えてるぞ(笑)。

あと、僕が東京を毎試合追っかけるようになったのは1999年からだからその場面は見ていないのだけど、その前年に東京ガスがJFLで最初にして最後の優勝を飾ったのも、最終戦の駒沢だったのだ。駐車場でアマラオとかを胴上げしたんじゃなかったっけかな。聞くところによると、当日試合会場を(確か西が丘だと)間違えていた某サポーターが優勝決定の場面に間に合わず、歓喜の胴上げ後の駐車場で大の字に倒れる「悲劇」もあったそうな(笑)。

まあ、数年ぶりに行ってみたらトイレもスタンドの椅子もすっかりきれいになっていて驚いた駒沢の競技場だけど、2万人収容の規模は今の(これからの)FC東京には小さすぎるし、ナイトゲームはできない(照明ではなく騒音の問題だそうな)しで、今後トップチームの応援で訪れることはなかなかないのかもしれない。でも、個人的な希望としては、年に1度くらい、今回みたいにカップ戦でもいいから来たいところではある。たまにはいいじゃん、こういう場所も。

つーか、もっと言うと、オジサンファンとしては西が丘で戦うFC東京の姿ももう一度見てみたいんだけどな……さすがにそれは無理か(笑)。
 
 
[追記1]
FC東京は駒沢公園の中でもサッカースクールを開くことがある。1ヶ月ほど前、たまたま今回の試合会場の陸上競技場に立ち入った時、ちょうどピッチの上で子供たちが練習していて、コーチしているのはなんと!00年の川崎戦で得点した(99年の仙台戦にも出ていた)小林成光さん。その光景にも「あれからもう9年か……」と月日の流れを感じてしまった村田であった。なんつーか、もう完全にノスタルジーたっぷりなオッサンなんである(笑)。
 
[追記2]
駒沢と言えば、1964年東京五輪のために整備された「オリンピック公園総合運動場」である。そして、東京五輪と言えば、最近J'sGOALに2016年大会の招致に関連して村林社長のインタビューが載っていた。「2016年には大きな存在感を示したい」か……本当は今の時点で存在感を示せれば良かったんだけど、そこはまあ今後の奮起に期待したいところ。五輪招致の是非はともかく、「東京にとってなくてはならない存在に成長する」という目標はおそらく正しい。
 

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://umanen.org/mt/mt-tb.cgi/2496

コメント

tp://www.oenoki.net/player/zadankai/020512.html
「やっぱりノボリ!」「石川東京!」
ええ、覚えてますよ、向こうもか(笑

日立台を経験するとウチもあれでやりたいよなーって気分に成りますよね。
西が丘で観戦後に赤羽で青赤渋滞な気もしますがw

>日立台を経験するとウチもあれでやりたいよなーって気分に成りますよね。
そうですねえ。年に一度の「ソシオ感謝デー」とか西が丘でどうでしょうかね。ソシオしか入れない、という。さすがに怒られるか(笑)。

>西が丘で観戦後に赤羽で青赤渋滞な気もしますがw
いやいや、十条にもなかなかいい店が(笑)。

>東京ファンとしての僕の原点のような試合である。あれも駒沢だったんだ。

自分もそうですよ。特に「下向くな」コールをするゴール裏に感銘を受けましたね。

記憶はあやふやなんだけど、ユルネバは歌ってない気がするんですよね。最後は「たなぼた得意」で笑いに走っちゃったから。
行ってないけどユルネバは等々力だった気が。

まぁ、なにせ10年前のことだからね。

そりゃお互い年取るはずだw

>年に一度の「ソシオ感謝デー」とか西が丘でどうでしょうかね。

どうせならレッズ戦で!何万もの会場は入れないレッズサポがスタジアム囲んじゃったりして(爆)

>記憶はあやふやなんだけど、ユルネバは歌ってない気がする
どうだったかねえ。私もさすがに記憶はややあいまい。「たなぼた得意」は前年度のJFL優勝を受けてのコールだよね。ゴール裏が負けたのにユルネバ歌って石野さんが苦言を呈して、「ガスはめ」がコラムで反論したのって、川崎戦だっけか。

>何万もの会場は入れないレッズサポがスタジアム囲んじゃったりして
隣の味の素ナショナルトレセンの屋根の上にいっぱい乗っちゃったりしてな(笑)。

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)