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2008年06月03日

●長沼健さんの訃報にふれて

長沼健氏が死去 元日本サッカー協会会長 (スポーツナビ)
 
 
昨日の夜、相変わらず「なんとなく」代表戦のスタジアムには足を運ぶ気にはならず、しかし幸い定時で仕事場を出られたので某所でテレビを眺めていたら、NHKニュースでいきなり長沼さんの写真が映し出されたので驚いた。突然の訃報。自分でも意外なほどのショックを受けた。


日本サッカー界の巨星、と言っていいだろう。現役時代は日本代表FWとしてW杯予選初ゴールを決めた他、中央大学・古河電工で天皇杯を制覇(古河は実業団として最初の優勝チーム)。最も有名な業績は指導者としてのもので、言うまでもなくメキシコ五輪での銅メダル獲得である。今とは出場資格等が異なるとはいえ、ソ連・東欧の「ステートアマ」(実質プロ)も参加していた大会で3位っつーのはもの凄い偉業だと思う。

代表監督退任後は日本サッカー協会の中心人物(94年からは会長)として、JSL創設やキリン等の大型スポンサー誘致、ナショナル・トレセン制度の導入やJリーグ創設、そし2002年韓W杯開催等に活躍。こうしてみると、全てが長沼さん1人の功績ではないにせよ、今僕たちサッカーファンが享受しているサッカー環境の多くが長沼さんと彼の仲間たちによって作り上げられたというのは、決して消えない事実なんだろうと思う。

個人的に印象深いのは、やはりフランスW杯予選での騒動だろうか。まだ若造だった僕は「加茂で行けなきゃ私がやめますよ」発言や加茂解任・岡田就任時の「居直り」ともとれる振る舞いにカッとして……正直に告白すると、翌年のダイナスティ杯の時にはブーイングを浴びせたりもしたものである。まあ、今から思えばあの時期の長沼さんの様々な決断は、ベストではないにしても、W杯初出場をもたらしたという意味では正しかったのかな。


会長を退任されてからは随分肩の力が抜けて「いいオッサン」的な印象になり、逆に「会長ってのは大変なんだな」と思わされたものだ。親分肌だけに、かえってキツいことも多かったんだろうな、と。僕も歳をとったせいもあるのか、日韓W杯前とは彼に対する見方がすっかり変わっていて、「サッカー批評」に数回に渡って掲載された「回顧録」などもとても楽しく読ませてもらった。サッカー仲間としての大先輩に対する敬意が芽生えた、というか。

まあ、今の「自称主将」と比べちゃいかんのかもしれないけど、協会の会長としてふるったある種の独断も「私物化」とは異質のものではあったし(最後はきれいな引き際だったし)、何より晩年のインタビューなどでの語り口から、サッカーに対する愛がしっかりと感じられたのが嬉しかったんだよね。とてつもなく偉い人なのにね。


とにかく、謹んでご冥福をお祈りします。長沼さんが亡くなったこの日にW杯予選が行われ、日韓W杯のメイン会場であった日産スタジアムで岡田監督率いる日本代表が快勝した、というのはやはり何かの縁なのだろうか。これからも、天上なのかあの世なのかわからないけれども、日本のサッカーを見守っていてくれるといいな、と思う。この国のサッカーにとって多難な時代が訪れつつあるような気がしているので、なおさら……。
 

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コメント

 縁あって長沼さんと永田さんには直接お話しを(二言三言レベルですが・・・)伺う機会がありました。
 長沼さんは、自分が関わっている知的障害者サッカーにもご尽力いただき、感謝してもしきれないくらいです。
 この大きくなってしまったサッカービジネスから、在野の取り組みに関わってくれる協会重鎮の関係者がどれだけいるかと思うと、残念でなりません。
 心からご冥福をお祈りしてます。

完全に手弁当の、スポンサーらしいスポンサーもいなかった時代からサッカーを盛り上げようと頑張ってきた人たちがどんどん少なくなっていて、それは仕方のないことなんでしょうが、そこで変な「主客逆転」が起こらないように、みんなが好きなサッカーが「僕たちのサッカー」であり続けられるように、サポーターは気をつけていかなければならないんでしょうね。きっと。

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