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2008年03月04日

●「田舎」というバランサーの有り難さ (山口旅行記その3)

日曜日。8時過ぎに起きて朝食のおにぎりをほおばりながら日刊スポーツを開くと、昨日の練習試合後に城福監督が選手たちを集めて「俺に迷いはない」と言い切った、という記事が。おおおおおーーーーっ!カッコイイ!!『スクールウォーズ』みたい(笑)!!僕のような軽薄なファンは、こういう記事を目にするとあっという間に気分が良くなってしまうのであった。つーか結局一喜一憂してるじゃん俺(笑)。開幕したら、もっとどっしり構えないといけない。
 
 

午前中から車で出かけ、下関にある「角島」という観光地へ。自動車のCM撮影にもよく使われるという大きな橋を渡ると、マリンブルーの海が広がっていた。残念ながらこの日は曇り空だったのだけれど、晴れていたら非常に美しい色だったはず。海岸を散策してみると、砂浜には漂着物がたくさん流れ着いている様子であった。近寄って青いポリタンクを拾い上げてみると、「H2O2」の表記とハングル文字が。こ、これはもしや今話題の……(笑)。


売店でサザエの壺焼きが売っていたのでさっそく購入。さほど大ぶりではないが、かえってちょうどいい大きさなのだろう、臭みもほとんどなくてとても美味しく食べることができた。1個100円は安いのかな。

 

角島から戻っての移動中、山陰線の踏切で赤信号に引っかかった。山口県で踏切に引っかかるとはきわめて珍しいことだ。いや、別に馬鹿にしてるんじゃなくて、ホントにそうなんだってば。黄色く塗装された列車が通過。1両編成は山口県ではきわめて……珍しくないんだなこれが。



続いて、長門市にある天然記念物「龍宮の潮吹き」を見物。ここは海岸に打ち寄せた波が断崖に当たって真上に吹き上がる場所で、その隣にはなぜかものすごい数の鳥居が。「潮吹き」もかなり面白かったけれど、その断崖の高さ(こえ~!!)と、脇の鳥居の妙な赤さがやたら印象に残った。海岸から不自然に続く鳥居というと諸星大二郎の『妖怪ハンター』に出てくる「あんとく様」を想起してしまうのだが、まさか元ネタではあるまいな。



次に、これも長門の国定公園「千畳敷」に。日本海沿いの小高い丘で、360度を見渡せる絶景スポット。ただ、実際に見てみると風景が凄いというより「高いところは気持ちがいいな~~」という感じ。初夏くらいに来ると海風が心地よさそうだ。この近辺は海風を利用した風力発電が盛んで、山陰から突如現れる高さ60mの巨大風車はなかなかの見物。SF的というかシュールというか……黒沢清『カリスマ』のパラボラアンテナをちょっと思い出した。



一旦家に帰って休んでから、帰りの飛行機に乗るために宇部へ向かう。途中で「万倉の大岩郷」を見物。見渡す限りの巨大な岩石の海。美祢市教育委員会の解説を見ると、かつて地崩れで堆積した岩石群が風化で角がとれてこうなったそうな。さすが天然記念物だけあって、ビジュアル的にはとても地味だが雄大な規模には見るべきものがあった。そして、その岩石の海を身軽にひょいひょい渡っていく地元の高校生。うーむ(笑)。

で、山口宇部空港に到着し、夕食をとってから土産を物色。仕事場の仲間のために生の豆子郎(要するに外郎。名古屋のヤツより絶対うまいと思う)、ふぐ雑炊の素、自分用に長さ15cmほどある巨大明太子(これが本当にうまいのよ……しかし写真を撮り忘れた。ブロガー失格(笑))。そして、19時35分発の全日空に乗り込み、21時過ぎにやっとこさ東京に戻ってきた。ぱっと思いついて行った割には充実した3日間であった。チャンチャン。



今回、久しぶりに(葬式以外で)美祢に帰ってみて思ったのは、これはある種のバランスをとる行為なんだということ。かつて住んでいた祖父母は既に亡く、父母も東京に住んでいる(だから厳密に言えば「帰省」じゃないのかも)僕がそれでもなお美祢に「帰る」のは、単に親戚に顔を合わせるためだけではない。「喧噪の都会を離れてのどかな田舎で癒しを得る」と言ったら図式としては陳腐すぎるけど、実際それに近いものがあるのかな、と。 

仕事関係や友達・サッカー仲間との交流が主な東京に対し、肉親を中心とした人間関係に終始する山口。「今そこに住んで働く」東京に対し、「訪れて昔を懐かしむ」山口。ビルとアスファルトと電車の中で生きていく東京に対し、木と土と自動車の中で生活する山口。憧れとコンプレックスと色眼鏡と美化が入り交じる中、たまにその両方を行き来するからこそ見えてくるものもあるし、心の中に癒される部分というのは確実にあるのだと思う。

山口県にJリーグのチームができて「アウェイ」として遠征するようになると、またちょっと違う感じになるのかな(笑)。
 

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コメント

初めてコメントさせていただきます。

私も同じ山口県の出身です。しかも、男なら誰しも萌える工場地帯を有する徳山でしてw

4年に一度程度しか帰らない故郷ですが、今では徳山もずいぶんと静まり返ってしまっているようです。

やけに広く感じる空と、ゆったりと流れる時間。私も久々に1両編成の岩徳線に乗りたくなりました!

時には「喧噪の都会を離れてのどかな田舎で癒しを得る」のも必要ですよね。

>青赤蹴球日記さん

こんばんは。初めまして。

徳山ですかー。私、生まれは宇部で、美祢と宇部にはしばしば帰省しているのですが、基本的に育ちは東京なので、この年になってから山口県のことを色々と「再発見」しているところです(笑)。

徳山も静まり返ってしまってますか。宇部なんかも、閉まっている商店ばかりが目についてどうも元気がないんですよね……。

>時には「喧噪の都会を離れてのどかな田舎で癒しを得る」のも必要ですよね。

まったくです。あの、ビルのない風景と、1両編成で揺られる電車が良いのです。

初めまして〜
実は20年くらい前に小野田と宇部にまたがったとこに2年程働いてたんです.当時は小野田線の妻崎駅前に住んでました.
宇部新川付近の飲み屋は結構制覇したんですよ.
ちょっと懐かしかったのでコメってみましたー

>パパがぶつぶつさん

こんばんは。いつも日刊スポーツウォッチ報告、ありがとうございます。

妻崎駅ですかー。実は私、母方の実家の最寄駅が妻崎なんですよ。少し歩いたところの道路脇にあるドラえもん、ご存じでないですかね(確か20年前にはあったはず)?あの近くです。

まさかブログ上で妻崎の話ができるとは思わなかった(笑)。子供の頃は有人駅で、そのうち電車が来る時だけ駅員さんが切符を売りに来るスタイルになって、今は完全な無人駅です。20年前に比べると、妻崎に限らず宇部の市街はちょっと寂しいことになっちゃってますね……。

>宇部新川付近の飲み屋は結構制覇したんですよ.
あの辺は全日空ホテルがあったりアーケード街があったりして,
賑やかな街でしたものね。子供の頃は、買い物をしたり家族でちょっとした食事会をする時に、小野田線に乗って宇部新川まで出てました。懐かしいなー。

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