●ここは日本だ、ブラジルではない
オシム監督更迭せず…川淵会長責任逃れ (セルジオ越後)
読んで激しく違和感を感じたコラム。「常識」ねえ……。
なるほど、今回のアジアカップ、日本が優勝する可能性自体はあったろうし、サウジ戦や韓国戦の敗戦は歯噛みするほど悔しいものであった。また、特に最後の2試合、「シュートを撃たない」選手たちの戦いぶりはまことに歯がゆく、オシム監督の采配にも首を捻る部分がいくつかあったのは事実だ。終わりよければ何とやら、の裏返しとして、批判が高まるのはある程度仕方がないのかな、とは思う。
だが、「監督辞任か更迭、さもなければ会長が責任をとるのが常識的な見解」とはあまりに話が飛躍しすぎていないか。「責任をとれ」と言った場合の、「責任」とは一体何を指すのか。
日本代表及び日本サッカー協会が今回のアジアカップを「是が非でも獲りに」行っていなかったのは周知の事実(だよね?)。大会1週間前まで国内リーグを開催する強行日程。大会前のテストマッチ0という無謀な準備。協会はノルマを設定しないことを、監督も「3連覇は義務付けられていない」ことを、それぞれ明言。もちろん現場では勝つための努力が行われたに違いないが、優勝を必須の目標としていなかったのは間違いない。
仕事の結果に対する評価は、明示的あるいは暗黙の目標があってこそできるものだ。その目標は「優勝」でもいいし、「若手に経験を積ませる」でも、「アジアの戦いに適応する」でもいい。アジアカップについて日本に暗黙のノルマがあるとは思えないから、明示的なノルマが示されなかったということは、大会が1年前倒しとなったことも鑑み、協会は強化プロセスの中で「この大会でどこまでを目指すか」についてもオシムに任せたことになる。
もちろん、考え方によっては、そうした協会のノルマ不設定やオシムへの仕事の預け方、それを許している日本サッカー界の体質について批判をするのはアリだろう。だが、事前に与えられた条件の下で闘っている人そのものに「条件が間違っている」ことの責任を問うのもおかしな話ではある。箸にも棒にもかからない成績(予選敗退とか)ならともかく、「あと二歩」まで行って後だしジャンケンで「負けた」と責められたって……。
セルジオさんの物言いを見ていると、思わず「ここをブラジルと勘違いしているのではないか?」と言いたくなってしまう。
国際競争としてのサッカーについて長い歴史を持ち、世界中がうらやむほどのタレントを抱える「王国」ブラジルならば、全ての大会において暗黙のうちに優勝が義務付けられているのかもしれず、インスタントなチーム作りでも最強チームを作り上げられるだけの「材料」と「基盤」がおそらくあるに違いない。実際、クラブレベルでは盛んに監督の首がすげ替えられるし、代表も緊急の監督交代が功を奏すことも多い。
しかし、日本はそうではない。将来的には向上してほしいとしても、現状日本選手の「個としての」能力は世界レベルではまだまだ優位にあるとは言えない。また、W杯出場3回という状況では日本サッカー全体の国際経験もまだ蓄積が浅いと言っていいだろう。そうした前提で世界の中で戦っていくには、中期的に(つまりW杯1~2大会のスパンで)、代表であったとしても一つのチームとして、組織力を武器に強化することが必要なのだ。
戦術の模索と浸透、それに合った各個の能力の改善、ファンや広い意味でのサッカー関係者も含めた共通理解の構築。時には躓くこともあるだろう、遠回りをすることもあるだろう。でも、そこで簡単に「はい次」なんてオシャカにしちゃったら、中期的な強化なんて望めるはずもないじゃないか。まっとうな方針で強化に成功したトルシエ監督やU20の吉田監督も、結果を出すまでにはそれなりの時間がかかっている。そんなコロコロ替えてしまったら……。
サウジ戦は惜敗だった。韓国戦は試合前に看過できないほどシリアスな移動のトラブルもあった。4位という結果は、満足はできないが捨てたものでは決してない。あるいは、将来的に「目指すサッカーが合わない」「采配に致命的な問題がある」等の理由でオシム監督に見切りをつけなければならない時が来る可能性は、残念ながらゼロじゃないのかもしれない。だとしても、少なくとも今は「その時」ではない、と僕は思う。
だって、まだ4年スパンの1年が過ぎただけだぜ?
ついでにセルジオさんのコラムに突っ込みを入れるならば、「負けた分析を徹底的にやる」という部分はいいとして、「オシム監督でなければW杯予選を勝ち抜けない-と万人が納得できる根拠ある説明が必要」という部分もよくわからないな。日本の実力ならば、オシム以外でも予選を勝ち抜ける監督はいるだろうよ、そりゃ(逆に、組合せやアクシデントによっては、誰がやっても困難な場合もあり得るだろう)。
でも、オシムの目指す「人もボールも動くサッカー」が日本人の特性に合うとみなし、一つの指針として日本サッカーをレベルアップしてくれると協会がみなしている(ちなみに、僕もそう思っている)からこそオシム監督、ということなのではなかろうか。少なくとも、小野さんを初めとする技術委員会はそういう姿勢をとっている。昨夏の川淵さんの責任逃れと、そもそもオシム監督が適任がどうかの議論を混同しちゃいかんだろう。
あと、「オシム監督を更迭する絶好の機会」なんてあたり、彼はもうオシムを否定したくてしょうがないように見える。どうも、彼とは根本的にものの見方が違うみたいだ。昔から「辛口も芸のうち」と思って好意的に見てきたのだが……最近「傲慢さ」が「応援する姿勢」を凌駕しているんじゃないか。つーか、そんなネチネチとクサすことしかできないのなら、いっぺんアンタがやってみなっつーの。ノルマはもちろん「アジア全勝」な(笑)。
繰り返しになるが、日本は日本である。ブラジルではない。セルジオ氏の基準は論外として、当初無関心だったくせに予選リーグ後半の内容の良さと豪州戦勝利で「行ける!」と急に盛り上がり、そこで惜敗すると途端に悲観論と責任論を巻きちらすようなマッチポンプな物言いなども、まことにアホらしいと僕は思う。ったく、ってね。
[追記]
中西哲生さんがWEBで同じようなことを書いていて、見つけた時とても嬉しかった。
コメント
こんばんは、お久しぶりです。
塩爺さんは電通も川渕さんも叩けないからオシムを叩いてる様にしか見えませんね。
この今の道はドイツW杯から続いてる道だと思ってます、納得し難い采配等も有りましたが。
今回のアジア杯の代表についてですがオシムにしては極めて”ジーコ的”(采配、戦術、メンバー)だったと思いますがmurataさんはどう思いましたか?
何はともあれ今ちゃんお疲れ様でした(イノハも)
Posted by: 古美根 | 2007年08月05日 20:11
>電通も川渕さんも叩けないからオシムを叩いてる
まあ、マスコミを活躍の場とする「評論家」ですから。言い換えれば、しょせんは「テレビの人」ということなのでしょうか。寂しいですね。
>納得し難い采配等も有りましたが。
そうですね。特に、太田や水野をほとんど使わなかったあたりは……うーん、という感じでした。ただ、全体的な方向性の適不適と、個別の采配の正誤は分けて考えるべきだと思います。
>オシムにしては極めて”ジーコ的”
「ジーコ的」というよりも、「準備期間の短さ(テストマッチゼロ!)」や「厳しい環境」といった要因に対応するために、ああいう戦い方、つまり「固定メンバー(新メンバーとのコンビネーションを熟成させる時間がないから)」で「ポゼッション重視(体力温存)」になったと思うのです。
まあ、川淵さんあたりの牽制球とは違う意味で、あまりに日本サッカーが「オシム頼み」になりすぎている事への危惧は私にもあります。今回のアジアカップを見て、「オシムさん1人に任せるのではなく、みんなで進もうとしないと」ということは強く感じました。
もっとも、「オシムのやり方じゃ駄目だ」あるいは「オシムじゃ駄目だ」という人には「じゃあ、どういう誰がどういうやり方でやればいいと思うんですか?」と聞き返したいですね。他にもっといい選択肢があるなら話は別ですが……。
>何はともあれ今ちゃんお疲れ様でした(イノハも)
鬱憤は、リーグ戦の活躍で晴らしてほしいですね。
Posted by: murata | 2007年08月05日 23:07
返事遅れてすいません、レスどうもでした。
アジア杯ですが勿体無かったなぁ、ってのが率直な感想ですね、イラクとやってみたかった。
正直、色んな所で
「まるでウチのダメなときを見てるようだった」
って書き込みが多かったのを考えると日本的なチームだったなぁ、と。
問題点を明らかにする事がエルゴラの東京書簡で後藤さんの「オシムは日本を弱くする」って書いてた事に繋がるのかも知れません。
記事はスポナビの宇都宮日記だけをアテにしていたのですが(愛知はエルゴラが売ってない!)色んな媒体が出てくれば電波媒体は淘汰される気がします。
(セルジオさんは前回の大立ち回りで漢を上げたのになぁw)
追伸 ピンチに成れば熊裏が堪能出来るのが東京サポ的には有難いって感じでした(笑
Posted by: 古美根 | 2007年08月17日 22:29
>勿体無かったなぁ
まったくですね。あのイラクとやっていれば、色々な意味でいい経験となったでしょう。
>セルジオさんは前回の大立ち回りで漢を上げたのになぁw
セルジオ氏の暴発(笑)に関しては、いずれ某媒体でツッコミが入るそうですので、お楽しみに。
しかし熊裏ってのもなつかしいな……「ユキ!コバ!」ってか(笑)。
Posted by: murata | 2007年08月20日 19:49