●人がサポーターとなる時 (川崎フロンターレ×ジュビロ磐田)
土曜の昼は等々力でJ1第17節。川崎フロンターレ 2-3 ジュビロ磐田。4連続引き分け中の川崎が復調著しい磐田をホームに迎えた一戦。開始早々セットプレーから先制した磐田に対して川崎がジュニーニョのごぼう抜きドリブルシュートで追いつく展開。後半立ち上がりに磐田が鋭い速攻から2点を奪い、その後は川崎が反撃するものの中村憲剛の直接FKの1点のみにとどまって試合終了。スピーディーな攻め合いが続く好ゲームだった。
ジュビロにとって、やはり前田遼一の復帰は大きいようだ。柔らかい足下と巧みなポジショニングで攻撃に変化をつけ、寺田を欠く川崎DFを翻弄。2得点を挙げて勝利の立役者となった。彼自身の活躍にとどまらず、チームの攻撃全体を目に見えて活性化させているのがすごい。彼のような「前の見える」選手が前線にいると攻撃の引き出しがぐっと増え、味方も確信を持って仕掛けることができる。磐田はリーグ戦で面白い存在になってきつつある。
一方、川崎はこれで6戦勝ちなしと苦しい状況が続く。ACLの挟まった日程による疲労の蓄積、相次ぐ怪我人と出場停止(この試合もマギヌン・森・谷口・寺田が不在)、そして関塚監督がコメントしているように昨年2位の躍進が厳しいマークを招いていることもあるのだろう。元々そんなに豪奢な戦力を備えているチームではないだけに、ここはとにかく耐えるしかないか。上位定着のための試練。次の神戸戦が正念場である。
興味深かったのは、なかなか勝てないホームチームに対するサポーターの反応だ。試合後、弱々しい足取りでゴール裏へ挨拶に来る選手たち。優勝争いから大幅に後退する敗戦だけに「ブーイングでも飛ぶのかな」と思って見ていたのだが、スタンドを青く染めたサポーターたちが選手に送ったのは、意外なことに一途な「フロンターレ!」コールだった。コールは試合中と変わらぬ音量で場内に響き、選手たちがスタンド下に姿を消すまで続いた。
人によっては「甘い」と言うかもしれない。だが、実際のところフロンターレは懸命に戦っていたし(終了時、力尽きてピッチに倒れ込む選手が続出した)、川崎サポーターはチームの置かれた厳しい状況をきちんと認識した上で「俺たちは一緒にいるぞ。ガンバレ!」というメッセージでチームを鼓舞しようとしていたように見えた。それは僕のような「部外者」にもポジティブな印象を与えるもので、ある種のたくましさを感じさせるものでもあった。
ふと思うことがある。「ファンは勝ち試合から生まれ、サポーターは負け試合から生まれる」と。まあ実際にはそんなに単純なものではないし、そもそも「ファン」や「サポーター」の定義は人によって様々、おそらく明確な線引きなど無益だろう。しかし、あえて区別するとすれば、単純な好き嫌いや一喜一憂を超えて「コイツラに勝たせてやりたい、一緒に勝ちたい」という気持ちを強く抱くかどうかは重要なポイントに違いない(もちろん行動も大事だけど)。
とすれば、やはり負け試合、もちろんどうしようもない無気力試合や呆れる負け方ではなく、何か心に引っかかる要素のある敗戦というのは、サポーターにとって財産であり「心の肥やし」なのではないか。思えば僕自身(は「サポーター」ではないのかもしれないが)も、FC東京の勝ち試合よりも負け試合の方により大きな思い入れがあったりする。99年終盤の仙台戦、01年雨の磐田戦、02年大敗した磐田戦、03年東京ダービー……。
ちょっと大げさな話になったかもしれないけど、数年前に比べて飛躍的に数と熱さを増したレプリカユニの人々が熱心に拍手する姿を見ながら、そんなことを頭の中で考えた。家族連れの割合も多く、全体的にはノンビリホノボノした雰囲気の等々力競技場。でも、実はしっかりと「サポーターする気持ち」が根づいて広がっているのかもしれない。端から見た限り、川崎フロンターレは前を向いているようだ。
コメント
はじめまして、こんばんは
負けた試合で選手に罵声を浴びせる事で自分の気は済むかも知れないけど応援しているクラブの為にはならない。
明らかなダメ試合でもユルネバで選手達に後押しをするのもクラブの為にはならない。
試合が終わって選手がどんな状況になっているのかを考えたコールを送るのもサポーターの役目だと思うのです。ダメなら罵声を、頑張ったのに結果が出ないならユルネバを。
Posted by: drkato | 2007年06月28日 01:02
こんばんは、drkatoさん。はじめまして。
全く、おっしゃるとおりだと思います。
私は小心者なので罵声を飛ばすのは苦手ですし(笑)、個々の試合や状況の評価は人によって異なってくるのかもしれませんが、とにかく「どんな状況になっているのかを考えた行動」ってのは大事ですよね。そのチームのためと思うのであれば。
万博の試合は現地に行ってないので何とも言えませんけど……どうだったんでしょうね、雰囲気は。
Posted by: murata | 2007年06月28日 02:18
こんにちは。ジュビサポのぺっぺです。
おおっ、murataさんも等々力にいらしていたんですか。等々力は3年連続の参戦ですが、このスタジアムは好きですねえ。雰囲気もいいしジュビロはなぜか等々力でのフロンターレに相性がいい(笑)。
でも今年はジュビサポにとって「チーム愛」が試されるシーズンとなってしまいました。福西移籍にまつわるフロントの姿勢への不信感、このたびの不祥事。でもこんなときだからこそ、残された若い衆たちをなんとかサポートしてやらなきゃと思いますね。ゴール裏であんなに声を枯らして応援したのは初めてです。(先日の日産スタでもですが。)なによりも菊地と同期の成岡や大井をはじめとして更に若い上田や船谷が「闘って」くれるようになったのが嬉しかった。
実は個人的なことですが、友人の急死でためらいながらの今回の参戦でした。「サッカーがあってよかった。」心の底からそう思いました。なぜか救われるような気持ちになったのです。
Posted by: ぺっぺ | 2007年06月29日 06:40
どもです。>ぺっぺさん
等々力では、後半はアウェイ側スタンドの2階で観ていたので、磐田サポーターの声援はよく聞こえましたよ。昔(東京サポから「男声」とかからかわれてました)よりも迫力が出てますね!
等々力は、第一印象としては「見づらいスタジアムだなあ」と余り良い感じに思えなかったのですが、何回か通ううちに適度にのどかな雰囲気と、あと席によって見える風景が(他のスタジアム以上に)違うあたりを面白く感じるようになりました。
ジュビロも、確かに色々と大変というか、おっしゃるとおりサポーターの愛情が試される状況ですね。言い換えれば、「俺たちの選手たち」への気持ちを再確認できる機会かもしれません。
>「サッカーがあってよかった。」
>なぜか救われるような気持ちになったのです。
それは、おそらくサッカーという競技の魅力や貴重さの根源に関わる部分なんだと思います。カタルシス(単純に「楽しさ」や「喜び」にとどまらないもの)、という言葉を使うのは安易かもしれませんが、でも私もまたそれを求めてスタジアムに足を運んでいるのです。
そういや、レスが遅くなったせいでもう次の試合が行われてしまいました。浦和戦。成岡が致命的なミスをしてしまいましたし、マコちゃんの退場はかなり理不尽なように思えましたが……「これもサッカー」なんでしょうかね。
Posted by: murata | 2007年07月01日 02:38
大変失礼しました。上のコメントの最初の段落、「「男声」とからかわれて」は「「女声」とからかわれて」の間違いでしたね。
どっちにしろ失礼な話か(笑)。でも、ホントに気持ちの入った迫力ある応援だと思いました。
Posted by: murata | 2007年07月01日 23:51
はじめまして。ふらふらしてたら、こちらにたどり着きました。
>「ファンは勝ち試合から生まれ、サポーターは負け試合から生まれる」
この考え、共感を覚えました。「ファンは~」はたとえば今の脚や赤に当てはまると思いましたし、「サポーターは~」は自分が東京を応援し始めた時のことを思い出しました。
これからもたまに拝見させてくださいね。
Posted by: ハル | 2007年07月12日 00:30
>ハルさん
どうもはじめまして。
そうなんです。チームへの思い入れが深まるのはむしろ負け試合においてなんですよね。私にとっては、やはり99年のホーム最終戦(仙台相手に0-1で敗戦、3位転落)が最も印象深いです。
どうも最近「そういう負け」も少なくて……。
Posted by: murata | 2007年07月12日 01:45