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2006年10月19日

●『映像のカリスマ』

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黒沢清著『映像のカリスマ 増補改訂版』(boid、エクスナレッジ)読了。現代日本を代表する映画監督・黒沢清による名評論集が、初刊行から15年の時を経て復活。1973年から92年に至るまでに書かれた「映画なるもの」を巡る評論・対談・脚本が満載され、さらにボーナストラックとして近年の未公開文章も収録。まさにファン待望の1冊。


僕のサイトを昔から見てくれている人ならご存じかもしれないが、黒沢清は僕が最も敬愛、いや偏愛する映画作家である。『勝手にしやがれ』シリーズに『復讐』『CURE』『蜘蛛の瞳』『カリスマ』『回路』『ドッペルゲンガー』etc……。世間的にはあまり知られていないかもしれない。でも、僕にとってはどれも珠玉と呼んでいい作品たちである。

もっとも、そこで「それらの作品のどこがどう面白いの?」と尋ねられると、はたと困ってしまう。うむ…物語がいいのか…カット割りが鮮やかなのか…演出に味があるのか…音楽の選択が見事なのか……。多分、どれか1つが決め手というわけではないのだ。あえて言うなら、全てひっくるめた全体としての「黒沢節」にシビれる、ということなのだが。

文章に関してもまた同じことが言える。黒沢さんの文章は、特段流暢なわけでも気が利いたフレーズが飛び出すわけでもない。冷めた目で見れば偉そうな断定口調が気に障るかもしれないし、本全体も同じような文章、あるいは同種の人名(フライシャーとか、フーパーとか!)が並んでばかりで退屈であると評されるかもしれない、と思う。

だが、僕は、彼の文章の1つ1つを読むたびに軽い満足感を、そしてこの本を読み終わった時には大いなる充足感を覚えるのであった。理由はなぜか、よくわからない。どこがどうして面白いのか、説明するのも難しい。もしかしたら、僕自身さえも、「面白い」という、誰にでも共有できる感覚を覚えてはいないということなのかもしれない。

ただ言えるのは、「黒沢清にしか撮れない映画」というのがこの世に存在するのと同様に、「黒沢清にしか書けない文章」がここにある、ということである。例えば、『カリスマ』の物語のキモになる「樹」にジャイアント馬場をキャスティング(笑)し、ペキンパーを断固として「ペッキンパー」と表記し、映画史的な文脈の中でフーパーを全身全霊をかけて弁護する……。

まあ、初期の、プロとしての自覚のない頃に書かれた文書が多いせいか、『映画はおそろしい』における藤田敏八最強論やドラクエ論、サンダンス日記ほどの娯楽性はこの本にはない。ただ、計算づくではない、より剥き出しの黒沢清がここにはある(ような気がする)。真面目なのか煙に巻いているのか、熱いのかクールなのか、そこら辺の謎めいた按配に魅力を感じることができれば……もう黒沢清の虜。


さて、そんなことを書いているうちに、実は新作『LOFT』をまだ観ていなかったことに気がついた……油断してるうちにロードショー終わってるじゃん!もうテアトル新宿のモーニングショーだけかよ……大失敗だ。

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コメント

私も「CURE」で好きになりました。
murataさんほどではないですが、結構観てますよ。

ただ、「LOFT」はね。。。
未見だそうなので詳述はしませんが。
私はもう次の「叫」に気持ちが移ってます。

>ただ、「LOFT」はね。。。
なるほど、微妙なコメントですな(笑)。

おっしゃるとおり、次に『叫』が控えていると思えば(笑)。

本当は、あんまりホラーばかりじゃなくて、『ドッペルゲンガー』みたいな活劇ももっと撮ってほしいのですけど、なんか色々と難しいみたいです。

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