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2006年06月06日

●まあ、何十年後かには会えるだろう

夜、新宿東口の「えん」で元河合塾の仲間と飲み会、というか、先日中国某所にて交通事故で亡くなった友人の追悼会。まあ、いつものガブ飲みメンツだけに、しめやかな時間などにはほとんどならず、ビールや焼酎を散々飲みまくってガハガハ笑い続けて、でもそれでいておセンチな瞬間も確かにあった、そんな集いだったんだけど。

その亡くなった彼は、もう10年以上前になるのか、大学時代一緒に中国旅行に参加した仲間である。今にして思えば大した冒険でもないのかもしれないが、まだまだ引っ込み思案だった当時の僕たちにとって、半月の間に北京(で短期留学)→成都→重慶(から船で揚子江下り)→南京→上海と巡る旅は十分に刺激的かつヘビーなもので、彼には「戦友」とも言うべき思いを抱いていたのである。

その後、何回か会って酒を飲んだりしたけど、まあ正直なところそれほど親密な仲でもなく、ここ数年はすっかりご無沙汰であった。でも、若い頃の貴重な体験を共有する友達として、時折思い出しては「どうしてるんだろう」と気になる存在でもあった。赤く染めた髪(「色抜いてから染めるとキレイなんですよ!」と笑いながら教えてくれたよな)と青色のコンタクト、そして丸めの顔が今でも印象的な彼。

シャイで、聡明で、バカな価値観を共有できるヤツだった。飛行機が大嫌いで、北京から成都に飛ぶ国内線(客室のビスが浮いてガタガタ音をたててた)でも固まって震えているような男だったのに、最後は仕事で中国に赴いて事故に遭うなんて、もしかして一緒に行ったあの旅行の影響もあるのだろうか?考えても仕方がないけれど、どうにも複雑な気持ちである。遺された家族の思いはいかばかりであろうか。

彼に捧げる色紙には、このように書き込んだ(酔ってたのでうろ覚えだけど)。

もう一度、会ってバカ話をしたかった。

その髪の色(赤だったりしたよな)にツッコミを入れたかった。

安らかに眠ってください。またな。

村田陽二

天国に近いのが色紙なのかWEBなのか、僕にはさっぱりわからない。でも、僕たちとは違う所に逝ってしまった彼に少しでも届くように、ここに改めて書いてみた。まあ、それだけです。

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