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2006年04月20日

●『勝手にしやがれ』


先日、NHK-BSでジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』が放送されたので、HDレコーダーに録画して見直してみた。通しで観るのはこれで2回目だったかな?

前回観たときは「意外と普通の映画だなあ」と思った気がするんだけど、俺、一体どこを見てたんだろ。全然普通じゃないじゃん(笑)。スピーディーに意表を突く、場面転換とカット割り。意味があるようでなさそうでやっぱりありそうな台詞回し。主人公の死に方に代表される、素っ気なくも印象的な演出。どこをどう切ってもゴダールじゃないか、これ。

ストーリー的には「殺人を犯して追われる身となった自動車泥棒(ポール・ベルモント)が、パリでアメリカ娘(ジーン・セバーグ)との恋に没頭しながらも次第に追い詰められ、最後は娘に裏切られてあっけない死を迎える」というもので、あまり深くも重くもく、大して意味はないように感じられる。だけど、だからこそ、一つ一つの場面が過剰に意味や文脈にとらわれる事なく、自由な雰囲気の漂う作品になったのかな、とも思う。

そう、無邪気というか、みずみずしいというか、とにかく奔放な作りになっていて、画面が「映画を撮ることの歓び」に満ちているんだよね、この映画。後に小難しくつまらない方向へ舵を切ってからのゴダール映画にはない、荒削りな魅力が強く感じられるのだ。もちろん、そうして自由奔放でありながらも、きちんと一本のまとまった映画として仕上げているところが天才の天才たる所以なのかもしれず、ゴダールの初期作にして最高傑作とも言われるのはそういう意味なのだろう。

しかし、やっぱりこの映画のポール・ベルモントはいいな。本当に自分の身の回りにこんなヤツがいたら相当困っちゃうし迷惑に思うんだろうけど、でも「悪だけど純情、二枚目だけどダメ人間」というのは映画の主人公としてのある意味王道と言えるのではないだろうか?第三者の視点で見ると感情移入したくなっちゃうタイプ、ということで。

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