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2006年03月28日

●『巨人軍論』

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野村克也著『巨人軍論 -組織とは、人間とは、伝統とは』(角川書店)読了。選手として、そして監督として数十年の長きにわたって読売ジャイアンツ最大のライバルであった野村監督が、「巨人軍とは何だったのか」について語る。

この本の大半を占めるのは、「栄光の巨人軍」の歴史と、それに絡めた「野村の野球論(組織論)」という2つの要素である。野村さんの現役・監督時代の巨人への敵愾心はよく知られているが、元々は子供の頃からの巨人ファンであり、彼の方法論(「ID野球」)も全盛期巨人の合理的野球(「ドジャース戦法」)から着想を得ているのだという。まあ、やっぱり、という感じではある。好きじゃなかったらあれほどこだわらないよね、そりゃ。

つまり、「ひまわりと月見草」発言に象徴されるような、野村さんの巨人、特に長嶋茂雄への尋常ならざる執着は、日本野球のパイオニアかつ先進集団であったかつての巨人軍へのあこがれと表裏一体であった、ということ。そう考えると、近年の巨人のあり方に対する彼の罵倒とさえ言える一連の批判も、非常に理解しやすい。確かにかつての巨人は凄かったのだろう。9連覇だもの、凄いに決まってるよな。だからこそ、今のだらしない巨人が歯がゆいのだろう、きっと。

もっとも、だからと言って野村さんは、巨人の、特にその人気の凋落を決してネガティブに捉えてはおらず、むしろプロ野球の地域密着化と一体のものとして喜ばしいと考えている節さえある。つまり、時代は変わったのだ、と。この本も、もはや帰ってこない「栄光の巨人軍」に対するレクイエムのように思える、と言ったら言い過ぎか?野球論の部分では、大いに自慢も交えつつ独自の理論を展開しながら、一方で今の選手に対する指導法に自信なさげな所も垣間見えたりして、さすがのノムさんも70を過ぎてちょっと寂しいのかな、とか思ったり。

おそらく、巨人軍の「栄光」を再現するのはもはや不可能なのだろう。東京ドームの観客減少、日本代表における存在感の薄さ、そして何よりその「威厳」が世間に通用しなくなったこと。僕もかつては熱心なアンチ巨人だったのに、最近はむしろ無関心、テレビで見るのもパ・リーグの試合ばかりだ。まあ、ホント、時代は変わったんだよな。そんなタイミングでこの本が書かれたのも、必然と言えば必然か。そして、皮肉な事に、巨人の凋落が誰の目にも明らかになった時点から、野村さんもまたその輝きが失われつつあるように思えるのだが……どうだろう。

今年、楽天の戦いぶりにはちょっと注目してみたい、と思った。

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