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2006年03月24日

●鋼鉄ガーロ、でっか

なんかネット上で話題になり始めているようだけど、トーチュウの開幕特別号に掲載されたコージさんのイラスト(「オレのトーキョウ通信」)に対してガーロからフロントを通じてクレームがついて、トーチュウが謝罪するという事件(?)があったそうな(事の顛末について書いたコージさんのブログ記事は削除された模様)。以下、限られた情報を元にして、という前提で。

まず、クレームをつけるほどの絵ってどんなものなのよと、そのイラストを某所で拾って見てみたのだが……「ニヒルな笑みを浮かべたガーロが、右手に葉巻を持ち、左手にはワイングラスを持った美女をはべらせながらサッカーボールをリフティングする」というイラストで、その上に「06シーズンはちょい「不良」サッカー…?」「ポゼッションで粋に攻め、サイドから艶やかにキメる!」という文字が入っているものだった。おー、けっこう顔似てるなあ、みたいな感じ。

正直言って「これで怒るとは大人げないなあ」という気はした。僕の感覚だと「ワイングラス」「葉巻」「ドレス姿の美女」あたりはいかにもベタ、あるいはステレオタイプなキャラ付けの道具であり、そして日本においては「キャラクター化する」という行為そのものが(よほど醜く、あるいは滑稽に描くのでない限り)親しみの表現であったりもする。少なくとも、悪い感情を込めたものではないだろう、という推測が可能な絵ではある。クレームはコージさんにとって意外なことであっただろう。

ただし、一方で、腹を立てたガーロの気持ちもわかるような気がする。聞くところによれば、彼は極めて真面目な性格であるとか。来日してまだファンの前で自分のサッカーも披露しないうちに「東京寄り」であるはずの新聞に自分の人柄とそぐわぬ(ように見える)戯画化されたイラストが掲載されているのを見て、ついカッとなってしまったのかもしれないな、と思うのである。あと、ガーロは確か家族を連れて来日しているはずだから、「美女をはべらし」の部分が許せなかったのかもしれない。

言葉であれ画であれ何であれ、表現には発信側と受信側があって、感受性も性格も文化的背景も異なる主体間のやりとりである以上、意図せず人を傷つけてしまったり、相手が不快に思ってしまったりすることは避けられない、とも言える。おそらく、今回はそこら辺のズレの存在を両者に対して解説し、すり合わせる「仲立ち役」を果たす存在がいなかったということなんだろう。もしそうだとしたら、まったくもって不幸な話である。

半ば繰り返しになるが、ガーロには日本で、FC東京というチームを率いて監督をやっていく以上、日本人流の「イジり」や東京ファンのテイストについて慣れてほしいとは思う。ファンのやる事なんだから、ある程度は大人の対応を、とね。しかしその一方で、ファンの側もガーロの人となりについて慮ってあげた方がいいのではないかとも思う。親愛の情を込めたつもりでも、まだお互いによくわかっていない人物についての表現としてはちと軽率だったかもしれない。そしてそもそも、人が不快に思ってそれを相手に伝える事自体を非難はできないのである。

あと、コージさんは「サポーターとしての」愛とセンスを込めてイラストを描いたのだろうし、トーチュウとしても盛り上げようという意図で躊躇しなかったんだろうけど、ガーロの意を受けたチームの側はあくまで「マスコミ対応」と割り切ったんだろうな、とも思った。コージさんをいちファンとして考えるならば、チームはファンと監督の両方を守りに入らなくてはならないところだが、彼はプロの絵描きでもあるわけで……ここら辺はちょっと難しいところではある。

まあとにかく、こういう話は変に尾を引いてほしくないものだ。「気を悪くしたのなら、ごめんなさい」。それでいいじゃない。

東すかだって「明日は我が身」かもしれんけどね。


というか、僕個人としては、この話を最初に聞いて、「このオッサンそこまで堅いのかよ!」と不謹慎ながら笑ってしまいましたよ。鋼鉄ガーロ、ってか(更迭ガーロ、ではないぞ(笑))。

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コメント

>更迭ガーロ

♪ガンガガガン ガガンガーロ ガンガガガン ガガンガーロ
おーれがやめたらー(バンババン)、だーれがやるのかー(バンババン)

♪いまに見ていろウラワ原人 全滅だ
走れ 走れ
カワグチノブーオー 風より速い
ビルドアップ バンバン馬場ン
ビルドアップ バンバン馬場ン


『鋼鉄ガーロのうた』(笑)。

こんにちは。ずっとJリーグを見られない環境にいますが、murataさんの観戦記のおかげでFC東京を身近に感じることが出来ています。
さて、ガーロさんは一月に初詣をした際「私はクリスチャンなので(神社では)お祈りはしません」と言うようなことをおっしゃってましたよね。もし、彼がとても生真面目なクリスチャンだと仮定すると、葉巻も美女もユーモアでは済まないだろうなあと思いました。「不良サッカー」と呼ばれることも心外かもしれません。内々に和解するでなく抗議となったのは「こういうことが二度と有っては困ります」という監督からのメッセージでしょうね。

確かに、クリスチャンに対して、特に妻子持ちであればなおさら、「ほかの女」ネタは大問題なんでしょうね。
まあ、普通は日本人的にはそこまで思い至らないから「いいじゃん、これくらい」って思いがちですけど、それはそれである程度仕方がないとして、相手が怒ったらちゃんと「ごめん」と謝って済ますのが筋ではないかと思います。

私は、ガーロに日本や東京の事を理解して欲しいし、ガーロという人の事も理解したいと思う。相互理解の重要な要件の一つでしょう。「相手にとって許せないことは避ける」ってのは。

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