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2006年02月02日

●『ゆきゆきて、神軍』

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ビデオで、原一男監督『ゆきゆきて、神軍』観る。戦争責任を過激に追求する「神軍平等兵」奥崎謙三(神戸でバッテリー業を営むアナーキスト)が、終戦後に2人の兵士を敵前逃亡の罪で処刑した元上官らを訪問し、真相を究明する。……と書くといかにも真面目なドキュメンタリーのようだが、実際には「社会派」などという枠をはるかに超越し、観る者にガツン!と強烈なインパクトをもたらす怪作であった。

映画の大半を占める尋問(?)場面は凄まじい迫力。それもそのはず、奥崎が追う真相とは、ニューギニアで飢餓に瀕した日本軍による「くじ引き殺人」及び「食人」なのである。「クロブタ、シロブタ」という隠語のおぞましさよ。今は家庭を持ち穏やかに暮らす元兵士たちが、過酷な追求の末、ついに人肉食を告白する時の虚ろな瞳には思わず背筋がゾーッ。本当に普通の、そこら辺にいる穏やかそうなオッサンが、いくら戦争中とはいえ文字通りの餓鬼と化していたのだ……。

そして、そのおぞましい事件を告発する奥崎もまた、かつて天皇に向けてパチンコを撃った男。天皇や田中角栄への非難がびっしり書き込まれた電波ムンムンの自動車で皇居前に現れ、「神の意志」を交えながらのべつまくなしわめき続け、時に追求する相手を脅し居直り、はてはナイフや拳銃での殺傷も辞さない男なのである。そんな奥崎に寡黙に付き従う奥さんも相当に不気味。真相もエグけりゃ、それを追いかける人間もまたエグい。特撮映画に例えればさしづめ『サンダ対ガイラ』だろうか(笑)。

そういったドギツさに加えてこの映画で面白いのは、取材の過程で、虚実の境界が曖昧になっていく様がはっきりと描かれているところ。さりげなく行動していた(ように見えた)はずがカメラの存在を前提として振る舞うようになり、あからさまな自己演出が増え、果ては「神軍平等兵」の完全なる演技者となっていく奥崎。最初は犠牲者の遺族と行動を共にしていたのに、彼らの「心がけ」が良くないとみるやあっさり縁を切り、妻や関係ないオッサン(笑)を偽の遺族に仕立てあげて追求を続ける奥崎。

そこでは、カメラが煽り、煽られた奥崎の過激な行動(病気の老人も殴る!)が撮影者を刺激し、より突っ込むカメラをまた奥崎が意識して…という循環が成立していたのかもしれない。既にあった現実をカメラが撮ったのではなくて、カメラが存在することによってあり得た現実。実際、そのような撮影のダイナミズムによってこそ、「他に食料がなかったので人を殺して食べました」などというとんでもない告白を引き出し得たのかもしれない。カメラ(原監督)と奥崎の作り出す「あり得ない」渦に、観ているこちらまで巻き込まれてしまいそうだ。

あと、映画の終盤、ニューギニアにおける奥崎の行動を記録したフィルムが現地当局に没収された事実が字幕で語られるのだが、そこがどうにも気になって気になって…。一体何が映っていたのだろうか。なにかとてつもないものが映っていたのかもしれんな、と思う。まあ、それ抜きでも、撮影後に奥崎が上官宅を拳銃で襲撃して逮捕され、拘置中に彼の奥さんも亡くなった、という身も蓋もない事実が新聞記事と字幕と銃声で語られるラストは十分衝撃的だが。

とにかく、本当にスゴイ映画である。たまげたよ。

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コメント

最終戦後の飲み会ではお世話になりました。
奥崎氏は既に故人ですが、神戸在勤時代は、よく家の前を通っていましたよ。
当時は服役中で、バッテリー屋は閉まったまでしたが、
インパクトのある店構えでした。

どうも。>cooperさん
大阪では同席させていただいて、楽しかったです。
試合は面白いわお好み焼きは美味しいわ飲み会は盛り上がるわで、いい遠征でした。

>インパクトのある店構えでした。
そうですよねえ。あれはちょっとねえ。
銃撃事件の前からも、あそこでバッテリー買う人いたんですかね(笑)?

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