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2006年01月03日

●『オシムの言葉』

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木村元彦著『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える』(集英社インターナショナル)読了。サッカーファンの間で話題になっている例のヤツ。品切れ状態が続いていたが、ようやく年末にアマゾンで入手した。面白い、という一言では済まない読みごたえ。1冊読むのに何日何週間とかかってしまう遅読の僕でも、わずか2日で読み通してしまった。

ピッチ上で表現されるオシムサッカーの凄さは、この3年間で幾度となく目撃している。彼の経歴についても、パルチザンとユーゴ代表の監督を歴任し、ユーゴ崩壊後はオーストリアで名を挙げてから市原へやってきた、くらいの事は知っていた。もちろん、独特の含蓄ある発言にはいつも楽しませてもらっている。でも、その一方で、偏屈を装うような物腰、メディアに対するガードの固さが気になってはいた。「ユーゴ代表では苦労したのだろうな」という程度の認識しか持っていなかったのだけれども……。

 
オシムのくぐってきた修羅場は、僕の想像などはるかに超えていた。
 

90年W杯での成功後、各共和国と民族主義者、そして扇動的メディアからの圧力が強まる中、監督・選手の意図とは関係なく解体させられていく代表チーム。懸命に多元主義とサッカーの価値を守ろうとするオシムだったが、欧州選手権の準備を進める最中に内戦が勃発。オシムは「故郷サラエボを攻撃するユーゴ」の代表監督という残酷な立場に立ち、さらには愛妻さえも包囲下のサラエボに取り残されてしまう。彼女がサラエボを脱出するまでには、2年半もの時間を要した。

オシムは、最高の知性と経験を備えた名将であると同時に、ユーゴにおける「理想の崩壊」「隣人の殺し合い」という悲劇をこの上なく残酷な形で体験した「傷ついた哲学者」であったのだ。彼の背負ってきたもの、深遠な言葉の端々にうかがえる過去を前にすれば、誰もが言葉を失わずにはいられない。常に言葉の使い方について警戒し、決してストレートに本音を漏らさないオシムの態度も、そうした彼の人生経験がもたらしたものなのだろう。

「今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」

「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。」

けれども、そんな辛い思いをしてもなお、人に対する愛情とサッカーへの情熱を失わないオシムがいる。僕たちと同じ国に、時には同じスタジアムに、いる。そして政治的な雑音なしに監督の仕事に専念し、ジェフ千葉と日本のサッカーにものすごく大きな財産をもたらしてくれようとしている。それはまさしく一種の奇跡であり、日本のサッカーファン、そして世界のサッカー人にとっての幸運、感動的な出来事と言えるかもしれない。

東京五輪の時から日本を好きでいてくれたオシム。僕たちにとって、間違いなくかけがえのない存在。これからも、反対側のスタンドからかもしれないけれども、見守り続け、「オシムのサッカー」を目に焼きつけたいと思う。あと何年いてくれるのだろうか……。

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