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2006年01月17日

●「発掘された不滅の記録 1954-1975」

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「発掘された不滅の記録1954-1975 [VIET NAM ベトナム] そこは、戦場だった」。やたら長くて思わせぶりなタイトルだが、抗仏戦争・南北分断からサイゴン陥落までの、要するにベトナム戦争の写真展である。

この展覧会、概ね時代順に、「北」側と「南」側の双方から撮影された写真を並べる形になっている。朝日新聞社主催のせいかどうかはわからないが(笑)ボリューム的には「北」側のものが多数を占めており、ホームページで使われている写真もなぜか「北」側のものばかりである(まあ、これは著作権やら何やらの関係があるのかもしれないな…)。

だが、プロパガンダが大半を占めているせいなのか、正直「北」側の写真にはあまり魅力を感じなかった。構図的には美しく、銃を構える女性兵士の凛々しい表情は素敵だと思いつつも、どうも「これは表現ではないな」という感じがするのである。単にわざとらしい、というだけでなく、何というか、「大きな意図」が個人の主観に勝ちすぎているというか…。状況を考えれば当たり前なのかもしれんけど。『小銃で空爆の米軍機に立ち向かう北ベトナムの女性民兵』なんて、ちょっと、ね。

僕が惹かれたのは、「南」側から戦場を撮ったフリー(ないし非政府系)の報道写真家たちの作品の方だ。それは、別にそれらが何かの裏側を暴いているとか、「北」側の写真が作り物でこちらが真実だとか、そういう理由によるものではない。彼らの写真に共感や感動を覚えるのは、それらの多くが主観を捨てず、「個人の視線」を表現しているからである。空爆から逃げまどう難民、恐怖に顔を歪ませる兵士たち、銃へ向けられる憎しみの視線。極限状態の戦場だからこそ、人の感性が必要なのだ。

そして、そういう見方で順に眺めていって、「これが一番凄い」と思えた写真(米軍の戦車に囲まれ、故郷から追い立てられる山岳民族たちを撮ったもの)のキャプションを見てみると、そこには「沢田教一」の名前が記されていたのであった。そうかあ、やっぱりなあ、と。ため息が漏れた。
 

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コメント

 近藤紘一の「サイゴンから来た妻と娘」等のシリーズが好きでしたが、これらを読んでると、実は「南は天国、北は地獄」というのがベトナムの真相に近かったように思います。

>「南は天国、北は地獄」
そこまで言えるのかどうかは私にはわかりませんが、「北の軍隊が南を解放」という単純な見方はしたくないな、とは思います。「反革命」の名の下に粛正(嫌な言葉だ…)された人も随分いたようですしね。
少なくとも、「南」側には米国にも南ベトナムにも与しない、あるいは「北」も含めた軍隊そのものに与しない一定数の人がいて、そこから情報が発信されていた、という事実は大きいでしょう。一面的すぎるんですよね、「北」側から記された歴史というのは。

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