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2005年12月13日

●『魔障ヶ岳』

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諸星大二郎著『魔障ヶ岳-妖怪ハンター』(講談社)読了。諸星さんの代表作とも言うべき『妖怪ハンター』シリーズ久々の新作。人里離れた「魔障ヶ岳」に存在する奇妙な遺跡を訪ねた考古学者・稗田礼二郎は、不思議な「物の怪」に遭遇し、さらに遺跡の奥でうごめくこの世ならぬ「モノ」(神とも魔とも鬼とも名付けうるもの)を目撃する。その後、帰還した稗田と同行した3人の身の周りに次々と不思議な事が起こって……。

正直なところ、21世紀も5年を過ぎた今になって『妖怪ハンター』の新作が出るとは思っていなかった。だから、読めるというだけでも感動モノなのに、内容がまた相変わらず面白い……。それも、深く静かに余韻の残る面白さ。仰々しく派手な見せ場やアクションはあまりない。というより、絶妙な抑制の効かせ方にこそこのシリーズの魅力があるのだ。日常に差し込む魔のモノの見せ方や、「9割方謎は解けるが、1割は未解決(不可知)のまま」という結末のバランス。まさに諸星節、ファンとしては堪えられない作品である。

このシリーズ、『妖怪ハンター』というタイトルながら、主人公の稗田が自主的に妖怪(?)退治にかかるのは最初の数作だけで、以降は彼が偶然超常現象に巻き込まれ、困難に遭いながらも考古学・民俗学の知識を生かして状況を解決する、というプロットになっている。稗田は銃も剣も使わない。用いるのは言葉(記紀とか)と、あとはせいぜい遺跡からの出土品くらいか?諸星的抑制の美学はここでも貫かれているのだ。おそらく、そうしたアンチ・クライマックス的な主人公だからこそ、このシリーズは成功しているのだろう。

1人の普通の人間が、ありきたりな「力」ではなく「人知」をもって魔や怪に挑んでいく。少なくとも僕たち文系人間にとっては、なんとも燃えるシチュエーションではないか。銃器や刀で化け物をバンバンぶっ飛ばすアクションももちろん楽しいけれど、ちょっとそういうのにウンザリした人(場合)には非常にオススメな漫画である。


「そもそも言葉が生まれて初めて世界は世界としての姿を持ち始めたのだ」
「鬼も神も魔も人間が名付けることによって生まれた それ以前はただのモノだ」

「本当はあなたのような人に名を付けてほしかったのに… 仕方がありませんね どこかほかにあれが静かに人と出会える場所を探しましょう そんな所があるかどうか分からないけれど……」

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