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2005年11月18日

●『アワーミュージック』

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日比谷シャンテシネでジャン=リュック・ゴダール監督『アワーミュージック』観る。

小難しい引用満載の台詞、説明性に乏しいカットとシーンのつながり、音やBGMのズラした使い方。いかにもゴダールである。上映後照明がついてもなお、会場内は静寂のまま。どの観客も「わかったような、わからないような…」と微妙な表情で引き上げていく。僕も1回観ただけではとても「理解した」などとは言えないのだけれど、ともかく外に出て深呼吸した瞬間に「ああ、久しぶりにゴダール観たなあ」と、わけのわからない充実感が(笑)。

難解で、いわゆる娯楽性という意味では「つまらない」のは確かだ。気楽にTVバラエティーやドラマと同じようなノリで映画を観たい人には決して向かない作品だろう。だけど、一方で、何とも言えぬ魅力を持っている映画でもある。「地獄編」の、戦争と戦争映画の果てしないモンタージュ、その奔流。「煉獄編」における、サラエヴォの街の鮮烈で切実なイメージ。そして、「天国編」で主人公オルガを包む森と小川のせせらぎの透明感。

生と死、歴史と現在、この世と「ここではないどこか」を、丸ごと取り込んで1つの映画に昇華させたとでも言おうか。その大きさ、美しさは感動的ですらある。真面目に聞くだけで疲れてしまう台詞やモノローグなんて適当に聞き流して、映像と映画の流れの美しさをひたすら体感するのが、こういう映画に向き合う時の正しい姿勢なのかもしれない。全てを解し、手の内に入れようとしても、ちょっと俺のポケットには大きすぎるわ、これは。

特に印象に残ったもの2つ。サラエヴォの廃墟や、ゴダールの庭園の花々などの、赤や黄色の彩り。そして、かつてのゴダール映画で度々出てきた、森のモチーフ。60年代後半の諸傑作(『ウイークエンド』とか)を想起してしまった。いかにも最近のゴダールらしい部分(「地獄編」や登場人物の深刻極まる表情)と合わせて、なんか集大成という感じさえしてしまう。そういや筋立てもきれいすぎるし、人物(特に若者)に対する視線が優しすぎるような気もするな。もしかしたら、ゴダール、これが遺作になるのか…なんて思ったりして。

あと、ゴダール映画と言えば、とにかくシリアスな映画でもどこかにギャグが入るものだが、今回はなかなか出てこなくてやきもきさせられた。「まさか本当にないのでは」と思い始めた映画の終盤、ゴダールが自宅で電話に出るシーンでやっと出ましたよ。「この大事な場面でそれをやるか!」という感じではあったし、超ベタなギャグだったけど。これだからこのオッサンは偉いのである。やっぱ人間どんな時でもギャグだよ、ギャグ。
 

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