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2005年08月31日

●『歴史としてのドイツ統一』

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高橋進著『歴史としてのドイツ統一』(岩波書店)読了。1988年ハンガリー-オーストリア間国境の開放に始まって89年ベルリンの壁開放、そして90年統一実現に至るまでのドイツ統一を巡る政治過程を、政治家や外交官たちの回顧録を中心に解明した書。

外交プロセスに的を絞って当時の会談や検討の模様を正確かつ詳細に再現する手法をとっているため、正直なところ政治や外交にあまり興味のない人、特に89年前後の国際政治に関する知識がない人が読みこなすのは困難な本である。しかし、逆に言えば、僕のようにペレストロイカや東欧革命に心を揺り動かされて大学の政治学科なんぞ行ってしまった人間にとっては、これほど素晴らしい読み物はないとも思う。

第1章「緑の国境」と第2章「ベルリンの壁の開放」では、自由を求める東独の人々が隣国へ流出し難民化した状況に対する、東西各国による様々な対応が描かれる。特筆すべきはハンガリー政府の決断。他国より一足早く政治改革に成功したハンガリーは、イデオロギーや東側の同盟関係よりも人道的見地を優先し、数十年封鎖されていた国境を開くのだ(そしてこれが東欧革命の引き金となる)。また、それを助けるゴルバチョフも大政治家ぶりを発揮。政治とはシステムあるいは制度に従って動くものではあるが、最後に物事を決めるのはあくまで人間なのだ、という当たり前の事を再確認させてくれる話である。

そして第3章以下では、ベルリンの壁が崩れてからドイツ統一までの、気の遠くなるような外交・政治折衝の数々が描かれていく。壁崩壊当時は「統一まで早くて数年か」というのが一般的な感覚で、わずか1年足らずで東西ドイツが統一するなんて、真面目に考えていた人はおそらくほとんど誰もいなかったのではなかろうか。あの期間での統一達成は今でも奇跡に近い事業だったと思うのだけれども、やはりその裏では政策・外交担当者たちのとてつもない苦労があったのだ。

統一を巡って特に問題になったのは、ドイツのNATO帰属問題。これに関するゲンシャー独外相やべーカー米国務長官の努力は読んでいて涙が出そうである。アメリカの外交関係者には89年の出来事について「西側の勝利」と吹聴する人が多いそうで、それはあながち間違いとは言えないのだけれど、そこだけを強調するのもまた偏った見方ではないかと思う。それ以前の僕たちは核戦争の影に常に脅かされていたのだし、実際89年時点でもゴルバチョフが失脚すればどうなるかわからない、という空気があった。迅速かつ平和裏にドイツ統一が実現して冷戦も終結し、さらに東欧革命まで(ルーマニアで悲惨な内戦はあったが)成し遂げられたのはなぜなのか。冷静に振り返ってみることは重要だ。

あと思ったのは、当時の欧米主要国の首脳は実に個性的で魅力的なメンバーが揃っていたのだということ。ゴルバチョフ、ブッシュ(父は息子の10倍まともだ)、コール、ミッテラン、サッチャー…。あと何十年かしたら、もしかすると80年代後半~90年代半ばは「欧州大政治家の時代」として振り返られることになるのかもしれない。まあ、これらの国は今でもけっこう個性的な政治家を輩出してはいるが。

ちなみに、当時の日本(海部首相ね)も時折話の中で出てくるのだけれど、それは対ソ支援を北方領土と結びつけることばかり主張する、勘違いな存在としてだったりする(笑)。「粘り強い外交努力」とか「強力な政治リーダーの存在」とかいった面については、いつの時代も日本はちょっとアレなんだよな…。そういう意味では、訪朝当時の小泉政権ってのはまだマシだったのかな?

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コメント

後で振り返って、
今の6カ国協議で、拉致問題しか出ない日本も
ナニだったりして。

何でいつもこう、狭視的になっちゃうんだろ。
「国際人」なんて言葉、もうシゴなんじゃない?

も一つ。国際社会における日本の「徳」は
どうしたら示せるんだろ。
日本には足向けて寝れねーや、的な。

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