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2005年08月19日

●さすが小泉、ではあるが

”郵政解散”ないし”自爆解散”からおよそ10日が経過した。

今のところ事態は小泉首相の思う壺になってきているようである。より正確に言えば、彼があらかじめ(おそらく首相就任以来)温めていたであろう「必殺の一手」がズバリはまりつつあるということか。

今回の強行採決→解散で小泉首相が行おうとしたことは非常にわかりやすい。

一つは、自民党内の(反郵政民営化というより)反小泉派を明らかにし、「守旧派」のレッテルを貼りつけた上で排除する、ということ。そして、その裏返しとして、自らの「改革派」イメージを高めること。

解散後の世論調査を見る限り、内閣支持率は上がり、1年前には次期選挙での勝利確実と思われていた民主党は勢いに欠けるようである。自民党の公認を得られない反小泉派は「刺客」(この辺のマスコミ受けする言葉が出てくるあたりもいかにも小泉政権だ)によって順当に潰されそうな雰囲気だし、『国民新党』とやらも小泉の望むコントラストを一層際立たせるだけだろう。

政策的識見や公平な視点には欠けるが、シンボル(ないしイメージ)の操作には長けた政治家・小泉純一郎の面目躍如といったところか。

僕個人としては、やはり釈然としない。数ある政策課題の中でも緊急性の感じられない郵政民営化という1問題を象徴的に肥大化させ、「郵政民営化への反対」を全て「改革への反対」と括ってしまい、金(700億円かかるんだってさ)や時間を含めあらゆる意味でコストの高い衆議院解散に突入してしまったのは本当に良かったのか、と。

確かに「シンボル操作によって物事を動かす」というのは政治という営みの重要な側面であり、政治家としての大事な資質ではあるのだろう。「自民党をぶっ壊す」というのは小泉首相の個人的な公約でもあるのだろう。小泉純一郎という人物、(当たり前だが)決して凡庸ではないな、とは思う。

でも、今の日本の政治、あるいは政治を巡る見方においては、あまりに小泉的なものが勝ちすぎているのではないか、というのが僕の感覚である。手間をかけた説明・説得や段取り、冷静な分析と合理的な判断、感情の暴走にブレーキをかける理性。こうしたものが軽視されたまま物事が突き進んでいく事には大いなる危惧を覚える。

そもそも、政党政治システムの下で自民党党首として首相に選ばれているのに「自民党をぶっ壊します!」なんてことを公言すること自体が大いなる矛盾でもあり(だったら外へ出て政権交代を目指さないとおかしいだろう)、「守旧派」(=郵政民営化反対派)をイジェクトすることが「自民党をぶっ壊す」ことにつながるのかどうかもよくわからない(「構造改革」賛成で「郵政民営化」だけは個別に反対した人がいたとしたら、やはり「守旧派」扱いされるんだよな…)。

どうして、そういう、威勢はいいがズルい曖昧さの残る彼の思惑に素直に乗っかってやらねばならんのだ、僕たちが。やっぱり僕は、小泉さんが総理大臣という地位にいることには賛成できない。

ということで、今回は民主党に一票入れようと思う。民主党が自民党に比べて力量的に劣ることは否めないし、好き嫌いで言えば小泉氏ほどではないが民主党も嫌いなんだけど、それでも2大政党制の下でリコールの意思を示す(そして既得権の肥大化による不合理・非効率にブレーキをかける)にはそうするしかないのである。

と、今は思っているが、あと3週間の間に変わるかもしれない(変わらないかもしれない(笑))。めんどくさいから、公示したらすぐに期日前投票しちゃおうかな。

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