« オーストラリア×NZ ('05トライネーションズ) | メイン | 堰が切れた午後 »

2005年08月14日

●20年前の夏もきっと暑かったのだろう

昼間、NHKで高校野球。宇部商 4-0 静清工。宇部商は父親が教員をしていた縁もあり、ここの試合だけはいつも真面目に観るようにしている。派手さはないが締まった攻守で粘る静清工を突き放して2回戦突破。やったぜ。

宇部商といえば玉国監督、玉国監督といえば攻撃野球。ということで宇部商はあまりバントを使わず、盗塁やエンドランが三度のメシより大好きなチームなのだが、それはさすがに静清工も読んでいたらしく(というか大抵はバレバレなんだけど(笑))スチールを刺されたりして、先制しながらなかなか追加点を奪えない。

そして9回表、是が非でも点の欲しい場面。1死1塁で宇部商は突如バント戦法を採用、セーフティーバントを連発。うーん、この極端さがなんとも言えず好きだ(笑)。この戦法が(結果的に)当たり、2死2・3塁から宇部商の2番「バットグルグルマン」(←勝手に命名)が2点タイムリー。その裏のピンチも主将(大きな鼻がイカスぜ)のファインプレーが出て、見事4点差を守りきった。いや~面白い試合だった!

…そんな宇部商ナインの戦いぶりを観ながら、ふと思った。そういや最近日航機墜落事故20周年の話題を目にすることが多いが、あの夏の甲子園では宇部商が快進撃を見せたんだよな、と。4本塁打の大会記録を作った藤井を軸とする猛打線で、エース級のピッチャーが2人いる好チームだった。決勝もK・KコンビのPL相手に途中までリードしてたんだけど、清原がよりによってバックスクリーンに同点ホームラン(しかも大会5本目で新記録塗り替え)を叩き込みやがったのを覚えている。そして劇的なサヨナラ負け。

あー、あれから20年か。あの頃もうオッサンだった玉国さんはもう57歳で、ニキビ面だった清原は38歳のオッサンで、今甲子園でプレーしている高校生たちはあの時まだ生まれてなかったんだよな。なんだか、ちょっとじみじみ。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://umanen.org/mt/mt-tb.cgi/322

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)