●20年前の夏もきっと暑かったのだろう
昼間、NHKで高校野球。宇部商 4-0 静清工。宇部商は父親が教員をしていた縁もあり、ここの試合だけはいつも真面目に観るようにしている。派手さはないが締まった攻守で粘る静清工を突き放して2回戦突破。やったぜ。
宇部商といえば玉国監督、玉国監督といえば攻撃野球。ということで宇部商はあまりバントを使わず、盗塁やエンドランが三度のメシより大好きなチームなのだが、それはさすがに静清工も読んでいたらしく(というか大抵はバレバレなんだけど(笑))スチールを刺されたりして、先制しながらなかなか追加点を奪えない。
そして9回表、是が非でも点の欲しい場面。1死1塁で宇部商は突如バント戦法を採用、セーフティーバントを連発。うーん、この極端さがなんとも言えず好きだ(笑)。この戦法が(結果的に)当たり、2死2・3塁から宇部商の2番「バットグルグルマン」(←勝手に命名)が2点タイムリー。その裏のピンチも主将(大きな鼻がイカスぜ)のファインプレーが出て、見事4点差を守りきった。いや~面白い試合だった!
…そんな宇部商ナインの戦いぶりを観ながら、ふと思った。そういや最近日航機墜落事故20周年の話題を目にすることが多いが、あの夏の甲子園では宇部商が快進撃を見せたんだよな、と。4本塁打の大会記録を作った藤井を軸とする猛打線で、エース級のピッチャーが2人いる好チームだった。決勝もK・KコンビのPL相手に途中までリードしてたんだけど、清原がよりによってバックスクリーンに同点ホームラン(しかも大会5本目で新記録塗り替え)を叩き込みやがったのを覚えている。そして劇的なサヨナラ負け。
あー、あれから20年か。あの頃もうオッサンだった玉国さんはもう57歳で、ニキビ面だった清原は38歳のオッサンで、今甲子園でプレーしている高校生たちはあの時まだ生まれてなかったんだよな。なんだか、ちょっとじみじみ。