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2005年06月26日

●「世界報道写真展2005」

夕方、写真美術館で「世界報道写真展2005」。年に1度の報道写真の集大成たるこの展覧会、多くのボリュームを占めて強い印象を残すのはやはり死者や負傷者の続出する惨事であるが、中には美を楽しむ写真や微笑ましい写真、どう反応していいか困る写真もあったりして、意外と間口は広い感じである。

展覧会の前半部分はとにかく悲惨だ。スマトラ沖大津波の惨状。ハイチ政府崩壊後、私刑で殺される男。イラクで「取り締まり」という名の抑圧を受ける地元民と、3日後に殺される運命の米兵。330人以上が死亡した北オセチア共和国の人質事件、現場で涙を流す老婆。ブッシュ再選の熱狂。スーダンでの、アラブ系による黒人系の「民族浄化」。ポスト冷戦とか対テロ戦争とか、そんなお題目はともかくとして、世界中で相も変わらぬ悲惨な事件が起こり続けているのだということを突きつけられる。いや、重かったわ。


後半の展示になると、より規模の小さな、しかしより世界の多様性を感じさせてくれるような写真が並ぶ。ペルーの農村で行われる女性サッカー。ギリシャの「小麦粉投げ」祭り。飼育員を殺して両足を鎖でつながれた象。ヤモリの足の裏。緑のオーロラ。4mの棒の上で演技するオーストラリアの劇団。パラリンピックで豪快に飛び込む両足のない競泳選手。竜巻の前に観測器を置いてはダッシュで逃げる勇気ある研究者。何気ないようでいて、報道写真というものがなければ我々が全く知ることのなかったであろう出来事の数々。写真は動画に比べて、撮る方にとっても見る方にとっても「簡易」で敷居の低いメディアだ。だからこそ入り込め、持ってくることができ、見ることのできる現実があるということだろうか。

今年の大賞はアルコ・ダッタ氏の「スマトラ沖地震による津波で親族を亡くし嘆き悲しむ女性」。うーむ、どうなんだろう。確かに肉親を亡くした女性の悲しみはよく伝わってくる作品で、優れた報道写真なのは間違いないだろう。でも、視点が共感できないというか、とっさに横から撮影する(例えば昨年の大賞作品のように)のならばともかく、突っ伏した人を上から見下ろすように撮るのは感心できないな、と思う。じゃあ、他の受賞作の中にこれ以上の写真があったかと言われると困っちゃうのだが。


帰りがてら、一部展示換えのあったという「超[メタ]ヴィジュアル展」にも寄ってみた。前に寄った時に感心した岩井俊雄さんの『時間層Ⅱ』の横にもう1つ『モルフォビジョン ~ゆがむ家』という作品があって、これもすごかった。何の変哲もなさそうな家のミニチュアが、高速回転して別の家の像を描き出し、さらに様々なボタン操作に応じてその像が歪んで…って、この面白さは実際に自分の手でいじってみなければわかりまへん。ぜひ行って触ってみてくださいな。

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