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2005年05月16日

●『アトミック・カフェ』

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WOWOWの録画で、ケヴィン・ラファティ監督『アトミック・カフェ』。1940~50年代のニュースフィルム・米政府広報素材を巧みに組み合わせ、ブラックユーモア・ドキュメンタリーに仕上げた作品。原爆の開発に始まって、明るい戦勝気分とヒロシマ・ナガサキの惨状との対照、ビキニ環礁の悲劇、朝鮮戦争から東西の核開発競争へ。そしておぞましい核実験と極めて楽観的な「核戦争対策」。素材のカッティングと配置だけで見せきる編集の切れ味は、まさにマイケル・ムーア(ラファティを師と仰いでいるらしい)以上だ。

この映画が決定的に素晴らしいところは、単なる皮肉や冷やかしにとどまらず、ラストにおいて、実際に核戦争に至った場合を描いてみせたことだろう。明るい音楽やドラマが突然途切れ、空から降ってくる恐怖の塊。アメリカ本土にヒロシマ等を重ね合わせることにより、それまでのノーテンキな「市民ができる水爆対策」などは一気に吹っ飛ぶ。結局、冷戦下の核開発競争なんてものが悪夢か、さもなければ悪い冗談でしかないことが白日の下にさらされるのである。

これが作られたのは82年か…。レーガン政権1期目の、イケイケドンドンの頃だ。そういう時代にこうした映画を作るのは努力と忍耐と勇気の要ることだったろうし、逆に言えば、だからこそ「作らねばならない」という意志が沸いてきたのかもしれないね。『華氏911』と同じか。

多分、アメリカ人は幸福だったんだ。実験等の「手違い」による一部の被爆者を除けば、広島や長崎の人々が体験したあの惨害を目の当たりにせずに済んだのだから。パニックに陥らずに済んだのだから。知らないからこその楽観主義。それは馬鹿馬鹿しく滑稽で哀しいことであり、また、それを利用して取り返しのつかない物事を推し進めようとする輩は許し難い。この映画に込められたメッセージはそういうことなのではなかろうか。

そして、「知らないからこその楽観主義」による被害は、周知の通り、現在もこの世界に広がり続けているのだ。

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