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2005年01月17日

●1995年1月17日

あれから10年か。

10年前の僕は、授業も行ったり行かなかったり、暇な昼間は家でダビスタ三昧、夜は安居酒屋で大ジョッキをがぶ飲み、というバカ大学生だった。一応かわいい彼女はいたけれど(次の年にフラれた)、今より10kgほども体重があって、上下ヨレヨレのジーンズという信じがたいほどダサい格好で街をうろついたりしていた。

そうか、あれから10年か。今にして思えば平和な冬だったのだ。その前の日までは。

三鷹にあった寮の友人(関西出身)の部屋で深夜まで飲み明かし、早朝の爆睡中に電話のベルが鳴った。「え?地震!?」。うわずった友人の声が聞こえ、慌ててテレビのスイッチがONされる。そこに映っていたのは、傾いた電柱、ひび割れた道路だった。「うわ、大きかったんだな」。その時はまだまだたかをくくっていた。6千人を超える死者が出るなんて、思いもよらなかった。友人の家族の無事を確認し、ホッとして再び寝入った。

事態の深刻さに気づいたのは、昼過ぎに帰宅し、テレビのスイッチを入れた時。火の海になった長田地区の映像。建物の倒壊の様子もひどく、道は瓦礫で塞がれていた。「あの燃える建物の下には、もしかして…」。手が震え、イヤな汗をかいたのを覚えている。続いて、倒れた高速道路と半壊した阪急三宮駅が映る。高速道路の下には、何とも不運な事にトラックがいて、運転席は巨大なコンクリートの塊で押しつぶされていた。

夜になっても、なお火災の勢いは衰えなかった。暗黒の大都市神戸。炎だけが街を照らす。「紅蓮」と形容するにふさわしい、人の手ではとても消し止められないであろう、地獄の炎だった。

翌朝、長田地区は焼け野原になっていた。至る所で人の顔に恐怖が、悲しみが、焦りが、汗が、煤が、涙が、こびりついてるのはテレビの画面からもよく分かった。不謹慎なもので、単なる破壊の風景となると興奮して画面を見続けてしまうのだが、しかし肉親を亡くした人が泣き叫ぶ姿には耐えられなかった。テレビを見続け、チャンネルを変え続けた。

あれから10年。僕はあの地震を現場で体験したわけでも、誰か身内や知り合いが被害に遭ったわけでもない。でも、あの日の、あの火の記憶はしっかりと脳裏にこびりついている。20年たった頃には忘れているだろうか?いや、絶対に忘れられないだろうな。あの地震とは、そういう類のものだったのである。

…そして、その2ヶ月後、これまた忘れられない地下鉄サリン事件が起こる。

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