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2015年09月16日

●28年目のラグビーワールドカップ (中編)

前編からつづく)


第4回大会(1999年)はウェールズで開催された。優勝はオーストラリアで、日本はサモア、ウェールズ、アルゼンチンと戦ってまたも3戦全敗だった。

日本代表は平尾監督とマコーミック主将の下、前年はアルゼンチンに勝利しアジア予選も全勝で突破、その年のパシフィック・リム選手権でもトンガ、サモア、アメリカなどに勝って優勝と、絶好調で大会に臨むことができた。また、元オールブラックスのNO8ジョセフとSHバショップもメンバーに加えるなど、史上最強の布陣とも言われたものである。第2回大会以来の勝利が期待されたのだが……あいにく結果は全て完敗。

今でも覚えているのは、初戦のサモア戦で風下の前半を10点差以内で耐えて「さあ後半逆転だ」とワクワクしながら観ていたら、先に日本が力尽きて逆に叩き伏せられてしまったこと。サモアにはその年の春に花園で勝っていたのに。本番の厳しさと、チームとして調子の波を合わせることの難しさ。期待と結果のギャップを考えれば、僕にとってはこの時のジャパンが一番の「苦い思い出」だったかもしれない。

大会全体としては、SHグレーガンとSOラーカムを擁し、戦術と個人技を極めて高いレベルで両立させた豪州が見事2度目のエリス・カップを獲得。南アとの壮絶な防御戦をしのぎきった準決勝は特に印象的であった。また、もう一つの準決勝で突如鮮やかなフレア・ラグビーを炸裂させて最強NZを撃破したフランス代表(WTBはドミニシ!!)も素晴らしかった。日本の結果を除けば、この大会が一番楽しかったかも(笑)。


第5回大会(2003年)はオーストラリア開催。イングランドが優勝し、日本はスコットランド、フランス、フィジー、アメリカに4戦全敗だった。

ジャパンは第4回とは逆にその年のテストマッチの戦績が悪く、事前の期待値はかなり低かった。ところが本番では宿澤強化委員長・向井監督の的を絞った戦法が功を奏し、チームも一致団結。猛タックルと高速パス攻撃でスコットランドとフランスを苦しめ、あわやの場面を作って地元の新聞でも「ブレイヴ・ブラッサムズ」と讃えられたという。イメージ的にはサッカー南アW杯の岡田ジャパンに近い感じだろうか。

ただ、この時もやはり結果的には一勝もできず、せっかくの強豪相手の大健闘も色あせてしまったのは否めない。当時仕事場の先輩(元ラグビーメン)に「だってアメリカに負けたんだろ?あの国でラグビーって上から何番目のスポーツだよ?」と言われてぐうの音も出なかったのをよく覚えている。やっぱり当たり前だけど、勝利という結果は必要なんだな、と。せめて1勝だけでもできていれば……。

この大会ではイングランドが強力FWとSOジョニー・ウィルキンソンのキックを武器に勝ち進み、北半球の国としては初の優勝。最後は延長戦、ウィルキンソンのDGによって優勝が決まったというのも南ア大会に続いて「出来すぎ」の展開だった。準優勝は地元オーストラリア。出血しながら最後までピッチで奮闘したラーカムの姿が印象的だったが、そういやHCは現日本代表HCのエディー・ジョーンズさんだったんだよね。


後編につづく)


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