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2015年03月20日

●地下鉄サリン事件から20年

地下鉄サリン事件20年 霞が関駅で慰霊式 (NHK)


地下鉄サリン事件から今日でちょうど20年目だったんだそうな。マスメディア等での扱いが思ったよりは小さいような気がするんだけど、意識的なものなんだろうか、それとも風化が進んでいるということなんだろうか。いや、20年たって未だにこれだけの取り上げられ方なんだから、やっぱり大きな出来事だったと言うべきなのだろう。

サリン事件自体の死傷者の多さや被害の大きさもさることながら、その後の警察による強制捜査や麻原彰晃の逮捕、上祐史浩をはじめ次々現れる怪しげな関係者、容疑者たちの逃亡、村井国夫の刺殺、そして教団の解体まで、連日連夜メディアに取り上げられ論壇でも議論が巻き起こり、いわゆるオウム真理教事件が当時の日本社会にものすごく大きなインパクトを与えたのは確かだろう。

当時の僕は大学2年生で、ちょうど一番暇を持て余していた時期でもあり、オウムに関しては色々な本を読んだり調べたりした記憶がある。知り合いに元信者の人もいたし、高校の後輩たちが地下鉄サリンの被害に遭ったりもしたんだよね。何より、当時住んでた家の二軒隣がオウムの東京総本部(1階は超怪しげな激安パソコンショップ「マハーポーシャ」)だったのである。

既にオウム真理教の松本サリン事件への関与は噂されてたから、地下鉄サリン事件が起こった時は近所に住む者として心中穏やかではなかった記憶がある。で、事件の数日後の朝、聞きなれないサイレンの音で目を覚まして窓を開けてみたら、目の前にガスマスクと迷彩服姿の捜査員が何十人もいたという(笑)。まあ、貴重な体験といえばそうなんだけど、野次馬する余裕は全くなかった。

その後は、しばらくの間ニュースやワイドショーはオウム一色になって、高樹町の東京総本部の前もマスコミが張り付きっぱなしだった。昼間のワイドショーが生中継やっている後ろをよく自転車で通りがかってたから、あの頃の僕は毎日テレビに映っていたのかもしれない(笑)。で、そのうち村井が刺殺されて、その供養の踊りがあったり、上祐が逮捕されたり……色々あったなあ。

ちなみに、その4年後に僕は就職したんだけど、最初の仕事場となった千歳烏山で働きだしたまさにそのタイミングで、オウムの東京総本部が千歳烏山に引っ越して来たんだよね。そこまで追ってくるかと(笑)。

オウム真理教については、今でも時々、「あれは何だったのか」と考え込むことがある。地下鉄サリン事件以降、日本社会が変わったことは間違いないと思うんだけど、それが一体何だったのか。また、多くの人から見れば気味の悪い(あるいは間の抜けた)カルト集団でしかなかったはずのオウム真理教がなぜあれほど多くの人を誘引し、あれだけの力を持つほどになったのか。「イスラム国」の跋扈なんかを見てもオウムを連想してしまうのだ、僕は。

社会の歪みや病理が鬼っ子的存在を生むのか、それとも悪しき異端児の出現が社会にネガティブな影響をもたらすということなのか。いや、ホント、厄介というか何というか……僕たちの世代にとっては忘れようとしても忘れられないし、決して忘れてはいけないんだな、オウム真理教事件というのは。


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