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2015年01月17日

●阪神・淡路大震災20年

今日で阪神・淡路大震災の発生からちょうど20年。神戸では天皇・皇后両陛下(とにかく国民に寄り添う姿勢を貫く方々だね)も出席して追悼式典が行われたそうな。


僕は当時大学生あの日は三鷹台にあった関西地方出身の同級生(残念ながら男だけど)の家に泊まっていて、地震が発生した5時46分にはベッドの中でまだぐっすりと眠っていた。突然部屋の電話が鳴って、そいつの「え!地震!?」という叫び声でぱっちりと目が覚めた。彼の実家からの電話で、幸い震源からやや離れた大阪だったので被害はない、ということだったと思う。

で、慌ててテレビをつけたんだけど、最初に画面に映ったのが傾いた電柱だったのをよく覚えている。その映像を見てもまだ「ああ、被害が出たんだな」くらいにしか思わなかったたんだよね。まさかあんな恐ろしい被害が出ているとは……それでも午前中のうちには高速道路の倒壊や長田区の火災、崩壊した三宮駅の映像が入ってきて、これはえらいことだ、と。

東日本大震災のように東京も大きく揺れたわけではなく、インターネットや携帯電話があまり普及していなかった時代。だから今から思えば、4年前の3月11日に比べると情報の伝わり方がゆっくりだったような気がする。そしてずっとテレビの前を離れられなかった。発災当日の夜、キャスターの木村太郎さんが倒壊した高速道路の下敷きになったトラックの前からレポートしてたっけ。

僕が震災後初めて被災地に行ったのはその年の夏休みだった。京都から阪急電車(は何とか復旧してたんだな)で神戸に入ったんだが、まだ全然復興が進んでなくて、ひしゃげたビルはそのまま(JRAの場外馬券売場もひびだらけで傾いでた)、アーケードの商店街が丸ごとゴーストタウンのように静まりかえっていたのはショッキングな光景だった。現実感がまるでなかった。

阪神・淡路大震災の影響というのは色々な面で大きくて、耐震基準だって厳格化されたし、被害地域は限定されていたとはいえ日本中で防災意識が高まった。被災地支援やボランティアの体制だってこの時の経験を生かして整備された。おそらくあの地震がなかったら、東日本大震災の時はもっとずっと混乱していたと思う(もっとも4年前は震災の規模が大きすぎて色々な面で追いつかなかったけど……)。


しかし、あの1995年という年は、その後に地下鉄サリン事件なんかも待ち構えていたのだからとんでもない年だったんだな、と改めて思う。そういえば東京都現代美術館はあの年に開館した施設で、昨年常設展示(MOTコレクション)で1995年特集をやっていた。あの年に起きたこの2つの事件が日本の社会や文化に与えたインパクトを考えれば、至極まっとうな問題意識と言えるだろう。

オウム心理教については、また改めて書こうと思う。


[参考]

阪神・淡路大震災「1.17の記録」
http://kobe117shinsai.jp/


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