●「デスティニー・ディーコン」&「ギィ・ブルダン」
写真美術館で「デスティニー・ディーコン展」と「ギィ・ブルダン展」。ちょっとエグいと評判の両展覧会、とりあえず「ものは試しだ」と足を運んでみたのだが……これが意外と面白かった。
2階展示室「デスティニー・ディーコン展」は、オーストラリアの新進気鋭アーティストの個展。切り取られた黒い人形の首、血まみれのブーメラン、奇怪な扮装の人々。刺激的な描写の写真が並ぶ。「先住民出身」を前面に打ち出している作家らしく、全体を覆うのは強者(白人、富裕層)による弱者(先住民、貧困層)への支配・抑圧を告発する視線である。
ディーコンという作家がただのキワモノではない所以は、多くの作品が人形や美しい自然風景や不自然な扮装といった「人ならぬもの」をモチーフとしているにも関わらず、そこに写っていない「抑圧された人々の怒り」がひしひしと伝わってくるところにある。あえて直接写さない事で感じさせる、という迂回的なテクニックとでも言おうか。うーむなるほど、という感じ。
特に印象に残ったのは、『No Place Like Home』というビデオ作品。『オズの魔法使い』のテーマ(『Over the Lainbow』)をBGMに夜の街をさまよう女性の後ろ姿を映し続けるだけなのだが、その女性の姿が異様におぼろげで…。時々「Come Back!」「There is no place like home」という声が挿入されるんだけど、全く意に介さず暗闇の中をユラユラと揺れ続ける女。「我が家が一番」だからこそ、帰れない(帰る場所のない)存在の哀しさと不気味さが際だつという仕掛けか。
3階展示室「ギィ・ブルダン展」は、「20世紀で最も影響力のあるファッション・フォトグラファー」ギィ・ブルダンの回顧展。なるほど、どの写真も構図や色合いに凝りまくっているのが僕でもよくわかる。ただし、「ファッション」と言ってもヌルいオシャレ系ではなく、シャープな刺激をもたらす「キワドい」作品ばかりである(作品のいくつかはここで見ることができる)。
面白いのは、ブルダンの場合はディーコンとは違って、大半の作品で人間の姿が写っているのに、受ける印象は全く無機質なものということだ。人体の一部が大写しになって残りはフレームから切れたり物陰に隠れている場合が多いのだが、それは別にフェティッシュな視点などによるものではなく、人間らしさを感じさせる部分を切る事により人をモノと等価に位置づける演出なんだと思う。数点あった、あまりにわざとらしい女性の大股開きポーズもおそらく同じ意図によるものなのだろう。
最も気に入ったのは、この写真かな。クールだよなあ。あまりにも、クール。
最初にも書いたが、この2つの展覧会、とにかくグロい描写が目立つと聞いていたのでやや腰が引け気味だったのだけれど、各々の表現手法の特徴に気をつけながら観ることでそれなりに楽しむことができた。ただ、ディーコンは政治的なメッセージ性の強さが、ギィ・ブルダンは怜悧な視線や計算高さが気になるのも確か。やっぱり「美術館」なんだからもっと単純に美を楽しみたいような気もする。特に写美の場合は前の展覧会もトンガってたからなあ……。