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2006年01月06日

●『杉本博司 時間の終わり』

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夜、六本木ヒルズの森美術館で『杉本博司 時間の終わり』。ニューヨークを中心に活動する写真家・杉本博司の代表シリーズが一同に会する回顧展。単体作品の質の高さはもちろんのこと、展示空間にも様々な工夫が施され、会場全体がいい意味での「贅沢さ」に満ちあふれたものとなっていた。

この展覧会は作品シリーズごとにスペースが分かれているのだが、それぞれ趣向が凝らしてあってとても面白い。光と影の巧みな配置、展示室に築かれた能舞台、白の部屋と暗い部屋とのコントラスト、20mはあろうかという長大な写真、林立するモノリスの陰に隠された作品…etc。他の展覧会でも見られる演出もあれど、これほどの規模・多彩さとなるとちょっと記憶にない。作家の知性・こだわりと美術館のポテンシャルとがうまくマッチしたというところか。「次はどんな展示かな」とワクワクさせられた。

作品の内容としては、いわゆる「実験的」なものが非常に多い。大きく分けて「現に存在するものを普通でないやり方でとらえる」パターンと「存在しないものを現に存在させようとする」パターンがあるだろうか。論理的でわかりやすいキャプションを見ても、聡明で理系的発想の作家のようだ。そして、手法は数あれど、どの作品も「あり得なかったものにチャレンジする意志」において統一されている。単なる写真家ではなく、現代美術作家の文脈で語られる事が多いのはそういう作家性ゆえだろう。

前述の2つのパターンで言えば、前者、つまり劇場舞台を長時間露光で捉えた「劇場」シリーズや無限の倍という焦点距離でモダン建築を写した「建築」シリーズ等よりも、後者、すなわちNY自然史博物館の再現模型を極めて実物らしく撮影した「ジオラマ」シリーズやフェルメールの名画を再現した「音楽のレッスン」、それにマダム・タッソーの蝋人形を実在風に見せる「肖像写真」シリーズ等の方がずっといいように思えた。コンセプトと同等かそれ以上の美が存在しているからである。いくら深い考えがあっても、ピンぼけはちょっと、ね。

文句なしに素晴らしかったのは、「海景」シリーズ。「原始人の見ていた風景を現代人も同じように見ることは可能か」というコンセプトと、実際に撮られた写真の美しさはともに文句なし。暗い展示室の中にモノクロの海と空が幻想的に浮かび上がる。特に5枚目だったか6枚目だったか、白っぽい海の写真があって、正面に立ってじっと見つめたら「今ここ」の空間とは別のものを覗いているような錯覚さえ覚えて……なるほど「心理的タイムマシン」ですな。

いや、とにかく、全体的に素晴らしい展覧会だったように思う。日常からちょっと離れて異世界・別の空間を垣間見る事ができたような。森美術館のあり方については色々首を捻りたくなる部分もあるんだけど、今回は素直に脱帽せねばなるまいよ。

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