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2005年12月27日

●『秋葉原・年の瀬の物語』

夕食後何気なくNHKをつけていたら、『にっぽんの現場 秋葉原・年の瀬の物語』なる、一見地味な番組が始まった。秋葉原で休日を過ごす人々に密着取材して「アキバ」の街の貌を描くドキュメンタリーなのだが、これが意外な当たり。いつの間にか引き込まれ、45分間最後まで通して観てしまった。

取り上げられた「アキバの住人」は、ゲーム10万枚を売る同人作家、美少女ゲームオタクの青年、CPUのクロックアップに熱意を注ぐマニア、メイドカフェで働く女子大生、そして小さな電機部品販売店の店主。安っぽいバラエティーなら彼ら「変人」をセンセーショナルに取り上げ、「キャー!」「ワハハハハ!」なんて音声をかぶせて冷やかしそうなものだが、あくまで淡々と、しかしスタイリッシュな映像と編集でしっかりと彼らを見せるのがこの番組の良いところ。

対象と思想や感情・感動を共有できずとも、「だからおかしい」「だから駄目」などと切り捨ててしまうのではなく、人と人との関係として取材し、きちんと話を聞き、その上で制作者のメッセージを込めつつ再構成する。当たり前と言えば当たり前なのだが、テレビという媒体ではそこまで手をかけないのが普通になってしまっている。それじゃいけないんだろうけども。少なくともそういう点では、この番組は至極まっとうに思えた。

メッセージ性が最も感じられたのは、ある中古屋で店主が数十年前のソニーのレコーダーを引っ張り出しながら、「価値のある人にはあるんですけど…それ以外にはガラクタですね」とつぶやく場面。考えてみれば、人の楽しみや寄る辺となるものの多くは「無駄な」ものであったり、他人には価値を理解できないものだ。例えば、僕にはブランドものの鞄に喜ぶ人の気持ちが分からないし、僕の仕事仲間は僕のサッカー熱に共感を覚える事がないだろう。それは仕方がない、というより当たり前の事。でも、同じ喜び(や悲しみ)を覚えずとも相手の喜び(悲しみ)を尊重し、共存することは可能なはずだ。

そういう意味では、秋葉原こそは、極めて「個人的な楽しみ」を求める人々(個人)が集まって(共存して)成り立っている街なのである。それは今も昔も変わりない(ただし森川嘉一郎氏が危惧するように、公的な再開発で壊れてしまう可能性はある)。電機部品店でマニアックに部品を買い集める少年が、多彩な光を放つ、小さくも美しいネオンを完成させるシーンで番組が終わるのはまことに象徴的であった。「部品は大事です」「色々なものが集まって色々なものができる…」。本当にそうだと、ちょっと感動した。

いや、こういう良質の番組をどんどん流してくれるなら、受信料なんて安いものだと思うんだけどね。


[追記]
1月4日25:15~NHK総合で再放送があるらしい。絶対に見るべし!!

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