●「ブラッサイ-ポンピドゥーセンター・コレクション展」
夕方、写真美術館で「ブラッサイ - ポンピドゥーセンター・コレクション展」。夜更けの街や裏通りを主な題材とした20世紀の巨匠・ブラッサイの全貌に迫る展覧会。フランス国立近代美術館の貴重なコレクションを持ち込んだ「日本唯一の巡回展」だけあって、作品の質はかなりいい。1枚1枚の写真に魅せられるという意味では、今まで写美で観た展覧会の中でも(って、そんなに数観てないけど)ハイレベル。
展覧会の前半、パリ市街の夜の光景たちにまず圧倒される。灯りに浮かび上がる並木や橋、階段。撮っている題材は何てことないものだが、照らされた対象物の質感、そしてその周囲や一部に存在する影の色合いが何とも素晴らしい。『霧の中のネー元帥像』なんて、光の加減といい、刀を振り上げた像のフォルムといい、霧の向こうに浮かぶ文字といい、ほぼ完璧である。相当根気と努力と(そしてもちろん感性も)必要な写真なんだろう。キャプションによれば、ブラッサイは「一瞬にして消えてしまう」ものではなく、「構造と持続によって与えられた価値」を追求したという。偶然と人為により生まれる美を、写真という道具でフィックスしたかったということだろうか。ふーむ。
そして、さらに、そうした美しさを極限まで突き詰めたのが、MoMAで展示されたという『地下鉄の石柱』なる作品だ。対象物は街路に立っている石柱。それを正面から撮しただけ、なんだけど、でも一度観たら目を離しがたい。これは本当にスゴイことだ。あと、夜の闇ではないが、「昼のパリ」と題されたシリーズもなかなかのもの。『白い犬がいあるモンマルトルの丘の階段』や『漁網、カンヌ』あたり。人為的な構図と、非人為的な光。ブラッサイ曰く、「もっとも日常的な現実から出発して超現実に至る」。なるほど。
一方、そうしたモノを撮した作品群に比べると、人を撮した写真の魅力は(あくまでも比べると、だが)イマイチだったような。当時はセンセーショナルだったらしい娼館の人々の姿も、どこかわざとらしく、平凡な感じがする。面白かったのは、鏡に挟まれたカフェの角席で人々の姿を撮したもの何点か。ただ、これにしても、人々の絡む姿が複数の鏡に映され合う全体像がいいのであって、人そのものに惹きつけられるわけでもない。
要するにブラッサイという人は、人やその営為を追いかけるというよりも、物質に対するフェティッシュな視線にこそ本質があったのだろう。展覧会の後半、ブラッサイの創作は壁の落書きや珊瑚などを撮影した写真から、素描、彫塑まで至るのだが、例えばその中に混在するヌード写真でさえも、生身の人の姿というより無機物と等価に近い撮り方をしているように見えるのである。あと、芽が出まくったジャガイモ(こうしてみると実に不思議な形だ)の写真に付いた『状況的芸術(あるいは芽の出たジャガイモ)』というタイトルも、一貫した彼の立場を表しているのかもしれない。
とにかく、難しいことを考えることなく見てもムードたっぷりで楽しめるし、色々考え出せばきりがない、そんな展覧会。もう1回は会場に足を運び、この目で確認してこようと思っている。いや、感心した。