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2005年07月15日

●先週の事件について。

さて。1週間の間に清水戦の勝利があったりもして、読む側も書く側もだいぶ頭が落ち着いてきた頃だと思うので、ヴェルディ戦試合前に起こった事について、事件直後の自分の反応も含め、今思っている事を書いておこうと思う。この件については今後も折りに触れて考えていくであろうし、まだまだ全然まとまっていないのだけど。

(自分として書き残しておきたい、書いておかないとスッキリしない、というだけであって、何かを蒸し返したいという意図ではなく、「その件についてはもういいじゃん」という人は読まれない事をお勧めします)

1 「灰皿投げ」と「行進」は無関係ではない(今回については)

今回の件を「灰皿事件」みたいに総称している人もいるようだが、まあ灰皿の蓋を投げて人に怪我をさせちゃったこと自体については、言うまでもなくやっちゃった彼に問題があるわけで、そこについては議論の余地はない。のだけれど、今回ここまでコトが大きくなってしまったのは、やっぱりそれが「行進」(ヴェルディ側からすれば「挑発」)の最中に行われたからだ。

僕が聞いた範囲では(ここら辺正確な現場の様子をもっと知りたいところだが)、「行進」と「灰皿投げ」の間に必然的な因果関係、つまり原因→結果という一対一の対応関係があったとまでは言えないのだと思う。一部の東京サポーターが調子に乗って挑発(ととられても仕方のない行為を)して、険悪な空気も流れたのかもしれないが、少なくとも灰皿の蓋を投げる理由はないわな(何を考えて投げたのか未だに意味わからん)。ただ、じゃあ「行進」と「灰皿投げ」が別の文脈で論じられるべきかというと、それもどうかな、と思う。

繰り返しになるが、キレた人間1人が向こう側に行って暴れたというのなら、それは一個人が起こした傷害事件の問題だけにとどまるだろう。しかし、大勢の人間が集団で「押しかけて」いる最中に起こったとなると訳が違う。FC東京の信用に関わる出来事で、イメージは非常に悪い。「行進」に加わらなかった(あるいは「行進」についてよく知らなかった)東京サポーター・ファンにとってはそうだろうし、ましてや外部の一般の人から見たらなおさらそうだろう。その集団に加わっていた人からすれば逆にピンと来ないかもしれないが。


2 「行進」自体について

で、その「行進」について。マスコミの記事だと「200人が挑発行動」として一緒くたにされていた(僕も一緒くたにとらえて頭に来た)けれど、もちろん200人(本当に200人だったかもよくわからない)が200人ヴェルディ側を煽る意図をもっていたわけじゃなくて、そのうちの一部、ないし多数は「ダービーを(メインスタンド等も含めて)盛り上げよう」と思って加わっていたのだろう。そもそも、ヴェルディ側まで行くなんて考えなかった人、行かなかった人もいたみたいだしね。そういう「よかれと思った」気持ちそのものを否定するつもりは僕にもない。実際、戻ってきた「行進」の人々の横を通った時、(反対側まで行ってきたとは露知らず)「盛り上がってるなあ」と感心して応援歌も口ずさんだしね。

ただ、それでもなお、悪気はなかった人たちも、相手側まで大人数で押しかけたことにより、事件の呼び水となる状況を作ってしまったことについては反省した方がいいとも思う。結果的に、皆の行動の選択の結果が相手方に挑発と受け取られるような事態になって、そしてその中でコトが起こったのだから。事件のことを聞いた時、まず真っ先に僕が思ったのは「これは当事者の意図に関わらず集団の問題として捉えられるはずで、「1人の馬鹿たれが起こした事だ」とタカをくくってはいかん」ということ。だから、事件直後にはあえて「一緒に詰め掛けた200人も似たようなもんだな」と、おそらく多くの東京サポーターが不快に思うであろう言葉を書かせていただいた。

そしてそういう人たちのような「悪気のない」レベルを越えて、当日現場において単なる「行進」の域に留まらない行いがあったとすれば(ヴェルディサポーターが主張するように、おそらくあったのだろう)、それは許される行為ではないし、まして最初から挑発や煽りの意図があったとすれば言語道断、だと僕は思う。ここは思い切り僕の価値観かもしれないが、相手への敬意を全く欠いた行為(おちょくりやシャレでは済まされない行為)は、たとえそれがチームをサポートしようという意図の下であろうとも、決してなされてはならないのである。

過去にヴェルディというチームに不快な振る舞い(移転問題とか)はあったのかもしれない。そして「ダービー」ということでみんな盛り上げたかったのだろうし、鼻息も荒かったのだろう。ライバル意識はもちろん大きい。でも、だからといって、相手を侮辱していいことにはならないし、衝突の危険(これを全く考えなかったとしすればいくらなんでも甘すぎだ)を冒してまでわざわざ相手方へ大人数で押しかけていいはずがない。それをやったら「集団の問題」「数の暴力」と言われても仕方がないだろう。


3 でもやっぱ言いすぎた

と、以上のような考えは最初からだいたい同じで、当日このblogには「一緒に詰め掛けた200人も似たようなもんだな」と書いたんだけど、その後友人たち(特に下山けんと)とやりとりしているうちに、怒りにまかせて言い過ぎたかな、と思うようになった。いくらなんでも、「灰皿投げ」の行為と「行進」(それ自体もかなり問題であったとしても)を、全く同じレベルで扱ったのはちょっとひどかったかな、と思う。ごめんなさい。


4 もはやスタジアムは「知らない人」だらけ

今回の事件は、間違いなく、「行進」を主導した人々や参加した人々、チーム関係者にとっては予想外の出来事であったことだろう。東京ダービーを盛り上げるべき一つの「イベント」(しかも昨年も似たような事はより小さな規模でやってたんだよね)のはずが、まさかこんなことになるとは。スタジアムを盛り上げるべきサポーターの中に、まさかそんな事をする輩がいるなんて。植田朝日さんの反省もそういう思いを率直に表現しているのだと思う。

これはもしかしたら、FC東京というチームとそのファン・サポーターにこの数年起こった変化が、最悪の形で表れたということなのかもしれない。まず、昔に比べてチームに対する注目度が飛躍的に高くなっていること。そして、ファン・サポーターの数が、J2時代に比べると数倍ではきかないくらいに膨張していること。人数の少ない頃なら、何かやったヤツがいてもそいつを特定して対応すればそれで済んだ。よほどの事じゃない限りオオゴトにならなかった(チームがオフィシャルの謝罪文に「今回の加害者は、これまで調べた範囲ではクラブと交流のある人に友人知人がおりません」と書いたのは、むしろそこら辺の困惑ゆえじゃないかな)。サポーターも、まあだいたいお互いに顔が見えていて、シャレのわかる人わからない人の認識はできていたはずだ。

でも、残念ながら、もうそうはいかないのだろう、多分。人数が増えりゃチームも古参のサポーターも「知らない人」が増えるのは当たり前だし、集団全体が大きくなればその中にシャレのわからない、空気の読めない、時によっては信じがたい暴発をする人間の絶対数も大きくなるだろう。「暗黙の了解」「共通理解」みたいなものを、全体として維持するのは非常に困難だ。集団行動のリスクは確実に高まっている。

そして、事件そのものの要因というだけではなく、事件に対する感じ方や意見も東京サポーター内では非常に様々だ。意見の違い自体はまあ常にあること。でも、膨大な数の色々な人がスタジアムに流入するにつれ、ベースとなる仲間意識や、もっと言うと共感みたいなものが薄れてきてしまってのではないか、という気がする(つーか、上の「200人も似たようなもんだな」という記述自体がその表れだ、と言われたら確かにその通りかもしれない)。メインやバックのファンの気持ちとゴール裏住人の思い、ホリデーを楽しみに来る家族連れとチームとともに戦う気持ちで臨む猛者たち、その他諸々。完全な他人と見なしているとか、対立があるとかいうわけではないのだろうが。

東京を応援するようになった頃、「街中で青赤のグッズを身に着けている人」を見かけた時、それが試合前でも全然違う場合でも、「おお、味方だ!」とやたら嬉しくなったのを覚えている。今でもその気持ちは基本的に変わっていない。相手方はどうか知らないが、青赤の人々は基本的に「身内」だとは思っている(だからこそ今回の事件は残念)。でも、どうなんだろう、「オレたち」ではなく「アイツら」みたいな認識の仕方をする事がかつてよりも増えたかもしれないな。我ながらイヤなことだし、気のせいであればいいんだけれど。

おそらく、新しい作法が必要になってきているのだ、東京のチームにとっても、ファン・サポーターにとっても。


ここら辺のな話については、近々僕よりずっと聡明な男がまとめてくれる予定になっているので、できればそちらも(つーかそちらこそを)見ていただきたい。今日のところはこの辺で。

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