●『ローレライ』
TOHOシネマズ六本木ヒルズで、樋口真嗣監督『ローレライ』観る。太平洋戦争末期、東京への原爆投下阻止を目指す潜水艦「伊-507」の孤独な戦い。日本の誇るクリエイターたちが送り出した久々の非怪獣SF大作は、実写版『宇宙戦艦ヤマト』とでも呼びたい物語であった。
客観的に観れば、ツッコミどころの多い映画である。いかにもCG然とした特撮、「序」「破」「急」のうち「序」をおろそかにした構成、都合の良すぎる展開(なぜB29は発進を早めなかったのだろう)、大げさな台詞と陳腐な人物造型、戦争に関する「リアリティ」の欠如…etc。この映画に拒絶反応を示す人の気持ちもよくわかるし、実際僕も開始から登場人物への感情移入に苦労している間に役所広司の大仰な芝居を見た時には、思わず映画館を出ようかとさえ思った。
ところが。
いつの間にか、この映画を好意的に見ている自分がいたのである。物語の折り返し地点、折笠とパウラが美しい海原を眺める(同時に長崎で2発目の原爆が炸裂する)あたりから、妙に胸が熱くなってしまって……。自分でもバカだなあとは思うのだが。理由ははっきりとはわからない。フジテレビ制作でありながら、マーケティングを超えた作り手の志を感じたから、というのはあるだろう。そもそも潜水艦(を含めた「船」)を用いた話が好きである、というのもあるだろう。
でもやっぱり、僕の心に響いたのは、この作品を貫く「真っ直ぐさ」なのかもしれない。青臭さ、と言い換えてもいい。これほど、愚直なまでに真っ直ぐな映画も珍しかろう。本作にはドンデン返しは存在しない。謎や急展開はあるにはあるが、すぐにバレる類のものだ。登場人物も最後までブレず、伊507の将校たちは大人としての振る舞いを、折笠は若者らしさを、田口は人間くささを、浅倉は狂気の確信犯を、最後まで貫く。誰もが、自分の大切なものを守り続ける。
加えて、クライマックスのビジュアルと展開には燃えるものがあった。敵艦に包囲され、無数の爆雷・魚雷をかいくぐりながら海底を進撃する伊507。様々な知恵と勇気が、ただ1つの目的(地)へ向けて結実していく。そして、暗い海底から明るい海上へ抜け、陽の降り注ぐ中、飛び立つB29へ向かって最後の一撃が放たれる……。全てを明らかにしてしまわない結末もなかなか悪くない。
原作者が語るとおり、これはファンタジーだ。「あり得ない」物語だ。その意味では、同じ潜水艦映画でも『Uボート』などとは正反対の映画。最初に書いたような完成度の問題もあって、誰にでも勧められるものではない。でも、僕個人としては、忘れがたい部類に入る作品かもしれない。僕たちが生まれるはるか前、昭和20年8月11日にあった決戦。「こんな夢を見た」。