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2005年02月16日

●『戦場のフォトグラファー』

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WOWOWの録画で、クリスチャン・フレイ監督『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界』観る。戦争と貧困を追いかけ続ける写真家ジェームズ・ナクトウェイのドキュメンタリー。

ナクトウェイは、例えば本作の冒頭でもその言葉が引用されるロバート・キャパとは対照的に、あるいは戦場での勇敢さとはうって変わって、「銃後」では寡黙で職人気質の男である。戦場での地獄を語らないナクトウェイについて、恋人は「彼の頭の中には苦悩の図書館があるはず」と語る。確かにそうだ。彼が内へ押し込めているもののボリューム、苛烈さは我々の想像を絶するに違いない。しかし、実はそれは、つまり自らの体験・思いに関して無駄口を叩かないということに関しては、一見享楽的な日常を送っていたかのようなキャパとて同じではなかっただろうか?

写真家という人種は、その撮影する作品によって物事を語ろうとする。それは技術の巧拙の問題ではなく、かつ何か意図的な制作行為であるとも限らない。彼らはその「本業」に関しては多くを話したがらず(キャパの「自伝」にも多くの解説が必要だった)、むしろ自らの内に閉じこめておこうとするのだ。カメラを向けるべき対象を、本当に撮るべきものを見つけた時のために。

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