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2005年01月28日

●『ヴィタール』

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夜、新宿のK's cinemaで塚本晋也監督『ヴィタール』観る。交通事故で恋人と記憶を失った医大生(浅野忠信)を主人公として、解剖実習現場を舞台に描かれる幻想純愛ストーリー(って、文字にするとわけわからんな)。

塚本監督のこれまでの作品同様、この映画もまた肉体的(死体含む)・精神的な「痛み」に満ち満ちている。そして、主人公の得体の知れなさ、行動の不安定さは観客の不安を煽り続け、それは物語後半、主人公が喜々として献体を切り刻む不気味なシーンにおいてピークに達する。彼は死ぬか、人を殺すか、いずれにしろ「あちら側」に行ってしまうのだろうか、と。背筋に冷たいものが走った。

だが、予想に反して、ラストに用意されていたのは、人と人との関係性やこの世界そのものを全面肯定するかのような、優しく美しい結末であった。出口に差し込む明るい光と木々のざわめき。思い出のなきがら。そう言えば、度重なる解剖場面にも関わらず物語が全体としてさほどグロテスクになっていないのは、主人公が愛しているのが死体そのもの(フェチ…)ではなく、その向こうに垣間見える「死んだ恋人に会えるもう一つの世界」だからだ。この映画のテーマは、徹底的な「愛」なのである。

クセ球が持ち味の塚本監督が、思いきって投げ込んだど真ん中剛速球。いや、完全にやられました。監督の勝ちだ。

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