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2015年12月16日

●『スター・ウォーズ』は「成長の物語」

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今週末からの『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』公開に備えて、『スター・ウォーズ』のオリジナル3部作(エピソード4~6)をブルーレイBOXで観直し中。

いやーやっぱ面白いわ、これ。身も蓋もない言い方だけど(笑)。確かに今の目で見ると(公開当時に比べればかなりCGで修正されてるとはいえ)チャチかったりテンポが妙にのどかだったりする部分もあるんだが、それも味のうちというか、惚れた目で見りゃアバタもエクボというか(違うか)。


で、今回数年ぶりに3部作を通しで観て改めて気づいたことがあって、それは、僕が『スター・ウォーズ』という映画を好きな理由は、それが若者たちの成長の物語だからなんだな、ということ。

元々『スター・ウォーズ』が主人公ルーク・スカイウォーカーの成長の物語であることは広く知られているけれど、ルークだけではなくてハン・ソロやレイアといった主要な登場人物はみな、成功と挫折、喜びと悲しみ、そして愛と憎しみを経験していくことで、3部作を通して大きく成長していく。その様子が画面を通じてはっきりと伝わってくるんだよね。

これはストーリーだけの話ではなくて、マーク・ハミルをはじめとする役者の顔つきからして1作目『新たなる希望』と3作目『ジェダイの復讐』では全然違っていて、後者ではそれぞれのキャラが実に成熟した表情を見せるようになった。ルークなんて見た目10歳以上は歳をとっているようにさえ見える。公開年数にしてたったの6年しか経っていないのにね。

演出もまた然り。例えば、1作目と3作目のラストシーンは同じようなシチュエーション(デス・スター爆破作戦の成功後)でルークとハン、レイア、チューバッカ、R2-D2、C-3POが揃い踏みするんだけど、前者はまるで学生スポーツのように初々しく喜びを爆発させているのに対して、後者は歓喜ともの悲しさが混然となった味わい深いシーンになっているのはご存知のとおり。

サブキャラでも、例えばXウイングのパイロットのウェッジ・アンティリーズなんて、1作目では頼りないルークのそのまた弟分みたいでヒョロヒョロな奴だったのが、3作目のクライマックスでは隊長として先陣を切ってデス・スターに突入し、バンバン敵を撃ち落としたり主反応炉にプロトン魚雷をぶち当てたりして感涙ものの格好良さを見せてくれたりもする。

もちろん『スター・ウォーズ』ってのは実に色々な切り口で楽しめる間口の広い作品で、だからこそこうして何十年も凄まじい人気を維持しているわけだけど、少なくとも僕にとってはそうした成長するキャラクターたちに共感を抱いたことがとても大きかったんだよね。

だから逆に、どうも好きになれないプリクエル(エピソード1〜3)については、個人的にはオビ=ワンの成長(と挫折)の物語として描いてくれればよかったのになあ、と思ってしまうのだ。アナキン(ダース・ベイダー)の話ではそれこそエピソード4〜6のルークの物語の裏返しに過ぎないわけで、そりゃモヤモヤしちゃうよなあ、と(あいつ最後まで成長しないし)。まあ仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。


と、一通り復習して感慨を覚えたところで、『フォースの覚醒』公開まであと2日。今度のエピソード7ではさらに数十年後のルークやハン・ソロ、レイアが描かれるはずで、彼らがどのように成長した姿を見せてくれるのか。また、新しい登場人物たちが3部作を通じてどのように成長して行ってくれるのか。

予告篇のハン・ソロは非常にいい感じに見えるんだけど……ワクワクするような、楽しみなような、怖いような(笑)。

   


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コメント

エピソード1〜3を好きになれなくても、Ep1~3の構想がなければep4~6がそもそもなかったというのをお忘れなく。

そしてルーカスは好きでep4から作ったわけではないと言うこともね。

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