やめてしまえばいい
なんだか、本当に、腹が立ったのだ。
先日行われたラグビーパシフィックリム選手権の準決勝、日本代表はサモア代表に8−47と敗北した。司令塔岩淵の負傷退場という不運、相手を倒せぬ腰の引けたタックルの連続、動きの鈍い指揮官と様々な要因が重なっての惨敗。新体制発足や代表プロ化への動き・準備不足で臨んだウェールズ戦での意外な健闘と、再建を目指すジャパンは着実にいい方向へ向かっていると感じられただけにこの敗戦は痛く、また応援している我々ファンにしてもつらいことだった。スタンドで観ていて、正直「しっかりしろよ」と言いたくもなった。でも、この日僕が本当に腹を立てたのは、その試合内容についてではない。試合後目にした光景についてだった。
試合が終わり、お決まりの挨拶をしにバックスタンド側に整列する日本フェイフティーン。起こるのはブーイングか沈黙か。しかし、信じがたいことに、彼らを迎えたのは多くの観客のスタンディング・オベーションだった。おいおい、正気か?確かに、負けても選手を讃えたくなる試合というのはある。全体的にあらが目立ったとしても、心熱くさせ、一瞬でもときめかせてくれたのならば(例えばウェールズとの第2テストのように)拍手も良かろう。だが、この日は断じてそのようなゲームではなかった。岩淵が抜けてからは単純なリターンパスも通らないお粗末な攻撃、腰の引けたタックルからつながれては二線防御を喪失して独走される守備。何より、ホームでの39点差というスコアが全てを表しているではないか。ちょっと、みんな優しすぎるんじゃないか。本当に拍手すべきだと自分の頭で考えたの?それとも、はじめから勝てるとは思ってなかったの?多分、後者なんだろうな。じゃあ、彼らは一体あそこに何を見に来たというのだろう。後半、たたきのめされ始めた頃は「何やってんだ」と冷たい雰囲気だったくせに。
同じく、試合後の選手の態度にも納得行かないものがあった。もちろん悔しさを露わにしている選手が過半だったが、中には表情に満足感をたたえたり歯を見せる選手、スタンドの知人を指さして笑いかけた選手さえいた。おいおいおいおい、テストマッチで、しかもふがいない内容で負けた直後なんだ、もう少し考えろよ。客はお金を払って見に来ていて、君たちはその中から報酬をもらうんだろう。そんなことでいいの?「いや、表面だけ見てもいけない」と言う人もいるかもしれないが、少なくとも態度だけでも粛然とすべき結果だったと僕は思う。まして、試合後のメインスタンドで何事もなかったかのように周りの仲間たちと談笑し、選手たちが引き上げてくると「タケオミさ〜ん」と軽い調子で手を振っていた日本代表控えSOの振る舞いなど、全くもって論外だろう。思わずキレそうになったぞ。自分が所属する集団、世の中から属していると見られている世界が今どういう状態になっているか、わかってんのか、おい!おそらく、彼もまた勝てると思ってなかった(もしくは勝たなくてもいいと思っていた)んだろうな、はじめから。
結局、90年前後のラグビーバブルの時代から、何も変わっていないのだ。みんな強い相手に心の底から勝てると、勝ちたいと思ってはいない(あのウェールズ戦の気持ちはどこへ行ったのだ!)。ファンの代表への期待も、選手たちの目標も、未だ底の浅いものでしかないのだ、多分。「どうせ体の大きい相手には勝てない」「健闘すれば上等」「プロじゃないのだから(欧州の一流プロとは環境の差があるのだから)」、いつまでたってもそういった言い訳が観る側やる側の心の奥底に根強くあるのだろう。あるいは、「平尾ジャパンがあれだけ期待を集めてあれだけ時間をかけてやっても結局駄目だったから」というあきらめの境地に達してしまったということなのだろうか。いずれにせよ、ファンも選手もこんな状態では勝利は遠く、ジャパン再建なんて夢のまた夢だ。
………ならば、やめてしまえばいい。
そう、いっそのことテストマッチなんてやめてしまえばいいのだ。ラグビー界は国内試合に注力し、とことん内輪受けの情緒的な「日本的蹴球」を極めればいい。そうすればへっぴり腰のウイングも「天才BK」で通用するかもしれないし、軽薄なSOもお山の大将でいられるだろう。ラグビーマスコミはかつてのように素人受けする大学リーグと玄人好みの社会人リーグを両輪として報道を組み立て、岩淵や村田のような「本物」だけが日本を捨てて海外へ飛び出し、個人として世界で名を上げればいい。日本代表は花試合として年一回韓国あたりと親善試合でもやって済ませ、「かつてオールブラックスジュニアに勝ったしイングランドともいい勝負をした」という想い出のみを保存していくべきだ。そしてファンも、代表の試合を熱心に観ることなどやめ、国内クラブや海外でひいきチームを見つけて応援すればいい。少なくとも、ジャパンほど負けが込んで落ち込む回数が増えることはないだろう。万事、めでたしである。
………………でも、それでいいのか。
いや、やっぱりそれでは良くない、と思いなおしてしまう。それは、世界の中で「日本代表が」戦うことにこそ非常に大きな意義があると僕は信じるからだ。ジャパンは確かにサイズの面、地理的・環境的な面で大きなハンディを背負っている。一流国相手に互角に戦うのは苦しく、勝つのはとても難しい。でも、「だからこそ」健闘したとき勝ったときにはより大きな喜びと感動が得られるのではなかったか。かつてジャパンが世界のラグビー界に衝撃を与えたのはあくまで体格の差をものともしない「小よく大を制す」ラグビーだったのだ。あの志が通底にあったからこそ国内のラグビーも熱気を帯び、他のスポーツとは一線を画した独自のステータスと文化を獲得したのではなかったのか。自分より強く大きい相手だからといってはじめから勝負を度外視したり負けても悔しさを表さないようなあり方では、日本人がラグビーのどこに魅力を感じればいいというのだろうか。
あの日、スタジアムが生ぬるさに包まれていたのは気温と湿度のせいだけではない。我々観客がつくり出す雰囲気と、それに乗っかった選手たちの姿勢もまた原因の一つではあったのだ。日本代表が強くなるには組織・マネージメント・戦術・フィジカル等様々な面を強化整備しなければならないのは間違いない。ただ、それらの前提として観客と選手に共通する「勝利を求めて妥協しない心」が必要なのもまた確かなのだ。だからこそ、スタンドは選手たちに対してもっと厳しい態度をとってほしい。ブーイングなんてしなくてもいい。試合をよりシビアに見つめ、拍手や声援についてもっと自分の頭でよく考えて基準を持ち、悪いときにはきつく、良いときにはとびきり熱く接することが必要なのではないか。そして、それに応えるプレーぶりを見せる選手が15人揃ったとき、その時こそがジャパン復活の時となるのではないだろうか。
厳しく、そして温かく!
2001年7月13日
[追記]
ジャパンはこの4日後、秩父宮での3位決定戦でカナダ代表に快勝。僕がやり玉に挙げたSOは無難なラインコントロールで勝利に貢献、ウイングも別人のように勇敢なハイボールへの飛び込みと力強いランニングで2トライをマークした。彼らに対する評価はやや(ほんの僅かだが)持ち直し。ただ、今回のカナダ代表はパワーはそれなりにあったものの技術は低く、暑さでへばりきっていた。勝利は確かに喜ばしいが、その程度の相手に勝ったくらいで浮かれすぎてほしくない、と思う。今現在「格上」と思える相手といい勝負ができるようになってはじめてレベルアップしたと言えるのだから。