不思議な監督


FIFAコンフェデレーションズカップ、日本は大方の予想を裏切って予選リーグから準決勝まで4連続完封勝利と快進撃を続け、決勝では王者フランスの前に0−1と涙を呑んだものの見事準優勝の栄誉を得た。今年(2001年)に入ってフランスには0−5の惨敗、スペイン戦での守備的布陣での敗戦と、代表に関してはすっきりしない試合が続いていただけに今回の決勝進出の意味は大きく、選手もファンも大いに自信を深め、日本代表は鮮やかに「復権」したと言って良いだろう。そして何より、このところサッカーマスコミから大いにバッシングされていたフィリップ・トルシエもまた、ほぼ文句のつけようのない結果を出したことでその地位を確かなものにしたと言える。

しかし、トルシエというのも不思議な監督だ。一昨年のワールド・ユース決勝進出、昨年のハッサン2世国王杯フランス戦での健闘およびアジアカップ優勝、そして今回のコンフェデレーションズカップ準優勝と、その前数戦の結果により猛烈な批判を受け自身の首も危なくなった、というタイミングで必ず皆を黙らせる好結果を出してくる。それは「新しい戦力・戦術のテスト→結果が出ず批判噴出→一つ間をおいて試行錯誤の効果が現れ勝利」というサイクルの繰り返しであり、彼が様々な選手戦術を試して刺激を与え続けたことで代表が成長し質・量・組織力全てが改善された結果なのだが、それにしたってあまりにもタイミングが良すぎる。運とかツキとかいったものに恵まれているのも確かなのだろう。エキセントリックな言動や選手の罵倒など納得いかない部分もいまだに多いのだが、こう大事なところで結果を出されては認めないわけには行くまい。少なくとも、もはやW杯までは彼に代わりうる存在もいないように思える。

 加えて、この大会ではトルシエの采配自体にも成長が見られたように思う。これまでトルシエの選手起用と言えば試合前・試合中問わず(後者において特に顕著だったが)意味不明・支離滅裂なものが多かったのだが、今回は「勝たなければならない」カナダ戦では攻め手が1枚足りないと感じられたところで早めの中山投入、「格上相手」のカメルーン戦では鈴木抜擢でカウンター戦を挑み、さらに中田の疲労で攻撃が停滞した時間帯に森島投入、そして「負けないことが必要」なブラジル戦ではフラット3左のスペースを使われていると見るやあっさり好調の小野を下げて服部を左サイドへ回すなど、理に適った選手起用が目立った。あれならば、選手も自分の適性・能力を生かして存分に戦えただろう。ま、決勝での小野の起用法にはちょっとケチもつけたくなったが。

 あとは、激情家のトルシエがW杯本番まで(あるいはまさに本番において)概ね冷静に自分を保っていられるかどうかだろう。あいにくと言うべきか幸いと言うべきか、今回は日本がリードされる場面は準決勝まで1度もなかった。終始主導権をとって自分のペースで戦うことができた、と言ってもよい。問題は、決勝のように相手のペースにはまって受けに回り、そこから挽回しなければならないような展開になったときにどうするか、だ。………うーん、でもそんなこと言うと、ちょっとセルジオ越後みたいでいやだな(笑)。監督は万能じゃないんだから、そこまで望んでもいかんかな。ともあれ、僕は昨秋以来「もうトルシエで行くしかあるまい」と腹に決めている(批判は大いにするけどさ)ので、あとは「がんばってくれ」というしかない。

泣いても笑っても、大目標まであと1年。1年後にはまた素晴らしい結果を残して、「何と不思議な監督だ」と唸らされることを僕は願っている。頼むぞ。

 

2001年6月13日


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