イラン戦を前に


 僕は小学校の頃、サッカーの日本リーグの試合を見に行ったことがある。あれは確かロス五輪の後だから、多分1984年の冬の初め頃だったと思う。日産自動車×古河電工という、当時としては好カード(のはず)だった。友達の父親のつてでもらったチケットを持って同級生5、6人で国立競技場に赴くと、入場門の前で青い服を着た大人の人達が何かを配っている。僕らも受け取ると、それはお菓子の詰め合わせだった。場内は全体としてはガラガラの入りで、バックスタンドの真ん中辺りに数百人のお菓子を手にした小学生が固まって座っている(そのように青い服の人に指示された)という、何だか変な光景だった。試合開始の笛が鳴ると、やはり青い服の人達が音頭をとって「応援」が始まった。数十分後、日産の10番木村のゴールで日産が先制。青い服の人達が不自然な位の大声で喜ぶ。それを合図としてまばらな拍手と声が閑散とした場内に響く。作り物の歓声が作り出す、ぎこちない雰囲気。それ以前から既に日本代表、特に木村和司選手のファンだった僕はその雰囲気になじめず、居心地が悪くてしょうがなかった。試合はそのままたいした盛り上がりもなく、1−0で終わった。そしてそれ以来、つい最近まで僕は1度たりともサッカーを見に競技場に足を運ばなかった。その日、何だかサッカーを馬鹿にされたような気がしたのだ。当時のサッカーなんて、いろんな意味で「一部の人」のもので、皆が一緒に愛せるものではなかった。

 今、この原稿を11月8日の深夜に書いている。皆さんも知ってのとおり、サッカー日本代表はカザフスタン代表を撃破し、アジア地区予選第三代表決定戦に駒を進めた。あと1勝でいよいよ夢のW杯だ。僕は今日のチケットを持っていなかったので、昼間、国立競技場周辺に様子を見に行ってみた。各入場門前はキックオフ6時間前だというのに凄い人の数だった。優に3千人はいただろう。殆どの人が青い日本代表のユニホームを身にまとって日の丸をつけている。ふだんの僕はナショナリズムというものに好意を抱けないが、こういう時だけは別である。素直に、なんだか嬉しくなった。家に帰って7時にテレビをつけると、6万人もの青いサポーター達が映っていた。サッカーファンて、こんなにいるんだ。いや、この何十倍もいるんだ。嬉しくてたまらなかった。

 思えば、Jリーグが始まってしばらくはあの異常なブームになじめず、プロサッカーが始まったことが嬉しい一方で「へん、どうせ代理店が作ったブームじゃねえか」と僕は斜に構えてもいた(実際あの頃のファンにはバブリーな人達も多かった)。「ドーハの悲劇」の時だって、悔しい一方で「いつからW杯出場が日本全体の悲願になったんだよ。にわかファンばっかりじゃねえか」なんて思っていた。自分は全然スタジアムで応援してなかったくせに…。そんな生意気な僕がファンも含めてサッカー全体が愛しくなったのは、つい最近Jリーグの試合を見に行くようになってからだ。これ程までに日本リーグ時代と変わったとは思わなかった。「Jリーグの凋落」が盛んに叫ばれる昨今、それでも応援するサポーターは本当に一生懸命だ。経営危機にあるエスパルスのサポーターなんか、はるばる新幹線に乗って三ツ沢や国立まで、愛するチームの応援のためだけにやってくる。その姿は感動的ですらある。今、国立で日本代表に声援を送る人達もほとんど皆が本当にサッカーが好きなんだと、僕は信じる。好きでもなきゃ、あんな混雑して窮屈でやかましいスタンド、我慢できるわけがないだろう。そして、こんな苦しい戦いに辛抱し続けられるわけがない。だから僕は、W杯出場を、僕1人の喜びのためだけでなく、日本のサッカーファン全員のためにも願っている。

 もちろん、W杯に出たことの無い国など他にいくらでもあるわけで、何も日本が特別な立場にいる訳ではない。次の相手もとびきり強く、はっきり言って勝算も薄い。だけど、多くの人達は4年間待った。僕は12年間待った。もっと長く待った人もたくさんいるだろう。だから、だから、だから…。神様、僕達日本のサッカーファンに幸運を。

 

ショートカット96号掲載(1997年11月15日)

 

 

(注)神様は味方してくれました(笑)。延長後半、アリ・ダエイのシュートをそらすという形で。初めに書いてある日本リーグ時代の話は、子供の頃の記憶を引っ張り出してうろ覚えで書きました。スコア等、実際と違ってるかもしれません。違ってたらごめんなさい。


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